日本歴史地名大系 「小山村」の解説
小山村
こやまむら
- 京都市:北区
- 小山村
村の北から東にかけて
中世の賀茂六郷の一、小山郷の地にほぼあたる。
小山村
おやまむら
- 東京都:町田市
- 小山村
小山村
おやまむら
- 熊本県:熊本市
- 小山村
小山山(一八九・六メートル)の周辺にあり、東は
南北朝期になり康永二年(一三四三)隆信の子早岐武宗は養子の詫磨弥一丸(能勝)に当村の地頭職を譲り(同年三月五日「早岐武宗譲状」同文書)、次いで翌年「
小山村
おやまむら
- 愛知県:刈谷市
- 小山村
北は一部が
小山村
おやまむら
- 静岡県:袋井市
- 小山村
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
- 長野県:須坂市
- 小山村
現須坂市中央部。南は
永正二年(一五〇五)の
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
園部村の東に位置する。北は
貞応元年(一二二二)一〇月二〇日付北条時房書下(関戸守彦氏所蔵文書)に「後白河院法華堂領丹波国野口御庄内小山村」とあり、後白河院
小山村
こやまむら
- 京都市:山科区
- 小山村
北・東は滋賀県大津市、南は
中世には山科七郷の一で、「山科家礼記」応仁二年(一四六八)六月一五日条に「一郷 音羽・小山・竹鼻清閑寺」とあり、音羽・
近世には禁裏御料山科郷の一村。
小山村
おやまむら
小山村
おやまむら
現小山町域の東端、
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
- 大阪府:藤井寺市
- 小山村
志紀郡に属し、丹南郡藤井寺村・岡村の北に位置する。大坂道を境にして西に丹北郡小山村・津堂村がある。村の北は宝永元年(一七〇四)付替えられた大和川で限られる。津堂村の南東端に当村と接して
文禄三年(一五九四)の検地高一千七九石余(同年「検地帳写」小泉家文書)。
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
- 東京都:品川区
- 小山村
小山村
こやまむら
- 東京都:東久留米市
- 小山村
小山村
こやまむら
- 岐阜県:美濃加茂市
- 小山村
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
- 埼玉県:坂戸市
- 小山村
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
- 島根県:出雲市
- 小山村
斐伊川と
小山村
おやまむら
小山村
おやまむら
- 東京都:世田谷区
- 小山村
等々力村の東にあり、東は
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
- 大阪府:藤井寺市
- 小山村
丹北郡に属し、志紀郡小山村の西に位置する。北は丹北郡
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
小山村
おやまむら
- 茨城県:岩井市
- 小山村
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
- 愛知県:一宮市
- 小山村
概高六九八石余で、六二八石余は藩士一七人の給知。田一町五畝余・畑三三町六反六畝余。新田二斗余・子新田二九石七斗余はともに成瀬隼人正の受控。
小山村
おやまむら
- 青森県:弘前市
- 小山村
東は三世寺村、西は
貞享四年(一六八七)の検地帳によれば、三世寺村の支村で、村高一五六・二三八石、うち田方一三四・三五五石、畑方二一・八八三石。田位は上田から下々田まであり、斗代は上田が一・三石と高い。村内に寺社、漆木はない。屋敷地は二・四八三石、屋敷持は六名。元禄三年(一六九〇)には藤代組に属し、村位は上とある(平山日記)。
小山村
こやまむら
- 千葉県:松戸市
- 小山村
松戸町の南、江戸川左岸の低地に位置する。松戸と市川を結ぶ往還が南北に通り、集落はこの往還に沿って並ぶ。寛永二年(一六二五)の旗本加藤良勝宛の知行宛行状には「小山村五拾九石八斗余」とある。寛文一一年(一六七一)一部が旗本松平領となり(正徳三年松平氏は大名に列し、以後多古藩領)、元禄一二年(一六九九)の小金領野馬法度請書では松平領高二〇〇石・加藤領高五〇石の相給。延享四年(一七四七)加藤氏は改易となり(寛政重修諸家譜)、同領は幕府領となったと思われる。
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
- 埼玉県:草加市
- 小山村
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
- 千葉県:野田市
- 小山村
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
おやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
小山村
こやまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報