八井田村(読み)やいたむら

日本歴史地名大系 「八井田村」の解説

八井田村
やいたむら

[現在地名]美浦村八井田

堀田ほつた村の北東に位置し、霞ヶ浦に面する。中世信太しだ庄に属し、江戸時代は旗本領で、元禄郷帳の村高は一六六石余、天保郷帳は一六四石余。幕末の村高は一〇〇石余で旗本坂本鎹之助領二六石余、坂本小左衛門領六石余、青木氏領六七石余(各村旧高簿)。幕末の村高の大幅な減少は当村の西南側にあるなかうち(各村旧高簿の村高七三石余、現中野内)がこの時期までに分村したことによると思われる。漁業も行われ、元禄一六年(一七〇三)九月一六日の霞ケ浦四十八津返答口上書(舟串家文書)に「八井田村忠左衛門」とみえ、享保一一年(一七二六)一一月の霞ケ浦浦方議定書(同文書)にも村名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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