朝日日本歴史人物事典 「八坂入媛」の解説 八坂入媛 伝説上の人物。景行天皇の皇后。崇神天皇の子八坂入彦命の娘。八坂入姫,八坂之入日売命ともいう。景行4年2月,天皇が美濃国(岐阜県)に行幸した際,美女の評判のある八坂入彦命の娘弟媛を妃に召そうとしたが,弟媛は「交接の道を望まない」といって固辞し,代わりに姉の八坂入媛を妃にすすめた。天皇はこれを許した。八坂入媛は妃となって成務天皇ら7男6女を生み,景行52年,皇后の死をうけて,新しく皇后に立てられた。天皇の死後,成務2年に皇太后となっている。 (明石一紀) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八坂入媛」の解説 八坂入媛 やさかのいりひめ 記・紀にみえる景行天皇の皇后。八坂入彦命(いりひこのみこと)の娘。天皇の美濃(みの)行幸のさい,妹の弟媛(おとひめ)のかわりに妃となり,成務天皇らを生み,景行天皇52年皇后,成務天皇2年皇太后となったという。八坂入姫,八坂之入日売命(いりひめのみこと)とも。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by