八坂墓(読み)やさかのはか

日本歴史地名大系 「八坂墓」の解説

八坂墓
やさかのはか

[現在地名]東山区金園町付近

光孝天皇の外祖母藤原数子の墓と伝承される。数子は「三代実録」元慶八年(八八四)三月一三日条に「外祖母正五位下藤原朝臣数子並贈正一位」、同仁和元年(八八五)一〇月八日条に「勅、皇妣贈皇太后山陵置守家五戸、外祖父贈太政大臣正一位藤原朝臣総継、外祖母贈正一位藤原朝臣数子墓各一戸、一陵二墓、並在山城国愛宕郡」と記される。墓の所在は確定しがたいが、「延喜式」諸陵寮にみえる「在山城国愛宕郡八坂郷、墓地十町、墓戸一烟」の記事や前引「三代実録」に従えば、鳥部野葬地の一隅に、光孝天皇の外祖父の墓などとともにあったものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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