東山区(読み)ヒガシヤマク

デジタル大辞泉 「東山区」の意味・読み・例文・類語

ひがしやま‐く【東山区】

東山

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「東山区」の解説

東山区
ひがしやまく

面積:七・七六平方キロ

かも川の東岸(左岸)から東山西麓にかけて、北は三条通(東海道)より南は伏見ふしみ境に至る間、東から西へのなだらかな傾斜地に、集落・市街地あるいは寺院街が展開する。おおむね北は左京区、東は山科区、南は伏見区、西は鴨川を挟んで下京区と境する。地質は、山地は古生層、傾斜地は旧期洪積層、平地は花崗岩砂を含む礫質砂層から形成される。

〔原始・古代〕

縄文・弥生時代の遺跡の分布は顕著でない。しかし、当区の北につづく左京区の東山沿い、岡崎おかざき北白川きたしらかわ一乗いちじよう寺などに縄文・弥生期の遺跡が所在していること、あるいは後続する時代に八坂やさか古墳群ともいうべき首長墓・群集墳の出現をみることを考慮すれば、この山麓の地が、既に縄文・弥生期より人々の生活の場となっていたであろうことは、容易に推察される。

古墳期では将軍塚しようぐんづか頂上の古墳が名高く、その他の首長墓の分布からして、四世紀から五世紀の間に、氏族集団の形成が進行していたことをうかがわせる。やがて、「狛国人の留川麻乃意利左」(新撰姓氏録)を祖とする渡来系氏族八坂氏の来住があり、後の八坂郷の地を中心に彼らの活躍があった。そしてその八坂の地には聖徳太子建立と伝える八坂寺(法観ほうかん寺)が建ち、ほかに愛宕おたぎ(珍皇寺)鳥部とりべ(宝皇寺)など、郡郷名を冠する寺院が姿を現している。これら古代寺院は、それぞれの地域に権力を扶植した氏族の氏寺的性格を帯びるものであったろう。

この地域の古代における地理的様相がいっそう明確になるのは、七世紀より八世紀にかけて、律令制度の制定と並行して整備をみた郡郷の設定によってである。東山区は愛宕おたぎ郡の東南部を占めることになり(南の一部は紀伊きい郡)、北より粟田あわた(下粟田郷)、八坂郷・愛宕郷・鳥戸(部)郷などが位置した。「和名抄」にみえる愛宕郡の郷名は一二であるから、その三分の一がこの地にあったことになる。それらの郷のうち八坂郷・愛宕郷については、長保四年(一〇〇二)山城国珍皇寺領坪付案(東寺百合文書)によって復元することが可能である。

班田制の施行に伴う愛宕郡の条里は、葛野かどの郡のそれとほぼ対応する。南の一条にはじまり北の一三条に至っていること、坪の数え方がいわゆる千鳥式であることなどが、判明している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東山区」の意味・わかりやすい解説

東山〔区〕
ひがしやま

京都市南東部にある区。1929年新設。その後区域が拡大したが,1976年山科地区が山科区として分離。今日の範囲は北はほぼ三条通,西は鴨川,東は東山分水嶺,南は泉涌寺東福寺まで。東山の山腹,山麓には知恩院八坂神社建仁寺清水寺六波羅蜜寺豊国神社妙法院三十三間堂などの著名な社寺が並び,それぞれ国宝,国指定重要文化財を数多く所蔵する。ことに京都国立博物館書画の国宝を多数収蔵する。北西部の祇園は花街として有名。祇園祭の山鉾行事は国の重要無形民俗文化財に指定されており,2016年に「山・鉾・屋台行事」の一つとして国際連合教育科学文化機関 UNESCO世界無形遺産に登録された。祇園祭山鉾は国の重要有形民俗文化財。古くから陶磁器製造が盛んで,清水焼,粟田焼は有名。東山洪積世植物遺体包含層(→更新世)は国の天然記念物に指定されている。サクラの名所として知られる円山公園,京都三座の一つ南座もある。面積 7.48km2。人口 3万6602(2020)。

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