デジタル大辞泉
「諸陵寮」の意味・読み・例文・類語
しょりょう‐りょう〔‐レウ〕【諸陵寮】
1 天平元年(729)諸陵司を改めたもの。
2 明治2年(1869)神祇官中に設置され、陵墓の管理を担当した役所。のち、宮内省に移籍。
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しょりょう‐りょう‥レウ【諸陵寮】
- 〘 名詞 〙
- ① 奈良時代、天平元年(七二九)に諸陵司を改めたもの。頭・助・大少允・大少属などの官人がいた。
- [初出の実例]「大和国人高志毗登久美咩等十七人、被二諸陵寮寃枉一、没為二陵戸一」(出典:続日本紀‐天平神護二年(766)四月甲寅)
- ② 明治二年(一八六九)神祇官中に設置された役所。陵墓の管理および未決陵墓のことをつかさどった。同一九年(一八八六)宮内省の一寮となる。昭和二一年(一九四六)廃止されて図書寮(ずしょりょう)に引き継がれ、現在は宮内庁書陵部が担当。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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諸陵寮 (しょりょうりょう)
陵墓に関する事務を行う役所。729年(天平1)令制の治部省管下の諸陵司を,機構を拡張して改称した。頭,助,大允,少允,大属,少属,史生4名,使部10名の職員を擁し,陵墓への奉幣,陵戸・守戸(りようこしゆこ)の配置とその戸籍・計帳の勘造,陵墓周辺の環境整備,陵墓の定期巡検・修補等の業務を行った。令制の崩壊とともに有名無実となり,15世紀中ごろには廃絶した。1864年(元治1)宮中に再興され,69年(明治2)京都出張所を設け神祇官に移ったが,71年廃止された。しかしその業務は,神祇省に引き継がれ,さらに72年教部省陵墓課,77年内務省社寺局諸陵課,翌年宮内省へと引き継がれた。86年宮内省官制改正に当たり,足立正声の建白を入れ3たび諸陵寮が設置され,庶務,主計,調査,往復の4課と京都在勤諸陵寮を置いて,陵墓の管理・考証と,古墳の発掘,埋蔵物発見等の届けに関する事務を行うことになった。88年京都在勤諸陵寮を諸陵寮出張所と改称,1914年出張所を廃止し,4課を経理,考証の2課に統合,21年庶務,考証の2課に改組し,46年また廃止され,陵墓関係の事務は,宮内庁書陵部へ引き継がれた。
執筆者:石田 茂輔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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諸陵寮【しょりょうりょう】
治部省所属の令制官司の諸陵司を729年拡張・改称。和訓は〈みささぎのつかさ〉。職掌は陵墓の管理・維持,奉幣,陵戸の戸籍・計帳の作成など。職員は頭(かみ)・助(すけ)・大允(だいじょう)・少允・大属(だいさかん)・少属各1人,802年史生(ししょう)4人新設。中世後期に廃絶したが幕末の陵墓整備にともない1864年再興。1869年神祇官に付属,1871年廃止,1886年宮内省に設置,1946年廃止。→大宝律令/養老律令
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