八条房繁(読み)はちじょう・ふさしげ

朝日日本歴史人物事典 「八条房繁」の解説

八条房繁

没年:永正5(1508)
生年:生年不詳
戦国時代八条流馬術始祖。没年の永正5(1508)年は小笠原植盛から免許を受けた年ともいう。曾祖父の朝顕が上杉弾正少弼朝定の次男で,武蔵国八条の里(埼玉県)に住み,八条の上杉といわれていたことから八条の姓で呼ばれるようになった(『玉石雑誌』続編)。『本朝・武芸小伝』では「東国の人で馬術の精妙を極め馬術の中興以来,この人に並ぶ者はない。伝統は六郎朝繁,氏家高継,君袋高胤,同姓隆胤が受けて奥羽(東北)に赴いた」とある。そのせいか,のちに仙台藩では八条流馬術を奨励,同藩から名手が多く出たという。伝統は幕末まで続いた。

(杉田幸三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八条房繁」の解説

八条房繁 はちじょう-ふさしげ

?-? 戦国時代の馬術家。
武蔵(むさし)八条郷(埼玉県)の人という。小笠原稙盛(たねもり)にまなび,永正(えいしょう)5年(1508)免許をうける。のち八条流をひらいた。通称は近江守。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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