八条郷(読み)はちじようごう

日本歴史地名大系 「八条郷」の解説

八条郷
はちじようごう

現八潮市八条付近に比定される中世郷。「吾妻鏡」建暦三年(一二一三)五月一七日条によると、「武蔵国大河戸御厨内八条郷」が式部大夫重清に与えられ、地頭職は渋江光衡に安堵されている。これは伊勢神宮領大河戸おおかわど御厨の庄官山内政宣が同年の和田義盛の乱にくみして生捕られ、政宣の所領が没収されたことによる。野与党系図(諸家系図纂)によると、野与党の渋江経光の子息光平が八条五郎を称していることから光平と渋江光衡とは同一人物とみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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