八田善之進(読み)ハッタ ゼンノシン

20世紀日本人名事典 「八田善之進」の解説

八田 善之進
ハッタ ゼンノシン

大正・昭和期の内科医学者 枢密顧問官



生年
明治15(1882)年2月1日

没年
昭和39(1964)年1月7日

出生地
福井県

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治42年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正6年〕

経歴
母校医化学教室、青山内科を経て、愛知医学専門学校教諭、宮内省侍医となった。大正10年皇太子渡欧に随伴、昭和12年侍医頭から官内省御用掛、枢密顧問官を歴任。また日本大学医学部創設参画、3年日大医学科教授、のち医学科長、同駿河台病院長を務めた。退職後健康保険横浜中央病院長、28年社会保険中央病院長、38年辞職。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「八田善之進」の解説

八田 善之進
ハッタ ゼンノシン


肩書
枢密顧問官

生年月日
明治15年2月1日

出生地
福井県

学歴
東京帝大医科大学〔明治42年〕卒

学位
医学博士〔大正6年〕

経歴
母校医化学教室、青山内科を経て、愛知医学専門学校教諭、宮内省侍医となった。大正10年皇太子渡欧に随伴、昭和12年侍医頭から官内省御用掛、枢密顧問官を歴任。また日本大学医学部創設に参画、3年日大医学科教授、のち医学科長、同駿河台病院長を務めた。退職後健康保険横浜中央病院長、28年社会保険中央病院長、38年辞職。

没年月日
昭和39年1月7日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八田善之進」の解説

八田善之進 はった-ぜんのしん

1882-1964 大正-昭和時代の内科学者。
明治15年2月1日生まれ。愛知県立医専(現名大)教授をへて,大正8年宮内省にはいり,侍医となる。日大医学部の創設につくし,14年から同大教授を兼任。昭和11年侍医頭。のち枢密顧問官,社会保険中央病院長など。昭和39年1月7日死去。81歳。福井県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android