兼殿庄
けんのとののしよう
鎌倉中期の簡要類聚鈔(京都大学蔵一乗院文書)の興福寺一乗院家の十二ケ所御領のうちに「兼殿」とあり、興福寺一乗院領荘園。応永三四年(一四二七)の一乗院昭円講師反銭納帳(天理図書館保井文庫)に「兼殿庄 三十丁八反三百十歩 廿三貫五十文納之」とある。
所在は建保六年(一二一八)の大和上吐田荘買主交名案(東大寺文書)に「同条四里六坪町内 進官二反 八反兼殿御領云々(中略)中条四里廿五坪町内 五反兼殿御領云々」とあり、現大字三里・梨本にあたる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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