平野殿庄(読み)ひらのどののしよう

日本歴史地名大系 「平野殿庄」の解説

平野殿庄
ひらのどののしよう

暦仁二年(一二三九)の宣陽門院覲子内親王庁下文案(東寺百合文書)に、

<資料は省略されています>

とある。これによると、後白河天皇皇女の宣陽門院から現京都市の仁和にんな菩提ぼだい院の行遍(心蓮院本仁和寺諸院家記)に秘密伝授の賞として平野殿庄が与えられた。これは領家職の授与を意味するものであろう。一方、応永一四年(一四〇七)の長講堂領目録(八代恒治氏蔵)

<資料は省略されています>

とあり、平野殿庄は現京都市の長講堂領であった。長講堂は後白河法皇の持仏堂で、同法皇は建久二年(一一九一)に多くの荘園(領家職)を同堂に寄進した。この長講堂領の本家職は法皇から宣陽門院が伝領したが(明月記)、そのうちに平野殿庄はみられない(建久二年の長講堂所領注文)。したがって同庄は建久二年以降に長講堂に寄進(領家職)されたものであろう。その後、平野殿庄の本家職は後深草上皇に譲渡された(後深草院御処分状)

文永一〇年(一二七三)の聖宴書状案(東寺百合文書)によれば「東寺一長者」(心蓮院本仁和寺諸院家記)でもあった行遍が建長四年(一二五二)に平野殿庄を東寺に寄進し、以降東寺領となるが、本家は皇室、「本領家」は仁和寺菩提院、領家は東寺と考えられる(東寺百合文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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