20世紀日本人名事典 「内木玉枝」の解説 内木 玉枝ナイキ タマエ 明治〜昭和期の教育者 中京女子大学創立者。 生年明治11(1878)年12月1日 没年昭和49(1974)年7月22日 出生地岐阜県恵那郡加子母村 学歴〔年〕東京女子美術学校卒 主な受賞名〔年〕勲三等宝冠章 経歴愛知県第一師範学校教師を務めた後、明治38年名古屋市に中京裁縫女学校を創設し、女性の衣服・体位などの改善を考え指導者の養成を目指す。43年高等師範科を設置する。大正8年財団法人理事長となり、10年中京高等女学校を併設、更に家事体操専攻科、家事裁縫専攻科を増設した。戦後は、昭和25年中京女子短期大学を設立し、26年学校法人化する。38年中京女子大学を愛知県大府市に設置し、40年付属幼稚園を設立する。46年内木学園総長となった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内木玉枝」の解説 内木玉枝 ないき-たまえ 1878-1974 明治-昭和時代の教育者。明治11年12月1日生まれ。38年名古屋に中京裁縫女学校を設立,女性の衣服・体位改善の指導者養成をめざす。戦後,中京女子短大,中京女子大を設置し,昭和46年内木学園総長となった。昭和49年7月22日死去。95歳。岐阜県出身。東京女子美術学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by