内淡路町二丁目(読み)うちあわじまちにちようめ

日本歴史地名大系 「内淡路町二丁目」の解説

内淡路町二丁目
うちあわじまちにちようめ

[現在地名]東区内淡路町二丁目

内骨屋町うちほねやまち筋を挟んで内淡路町一丁目の東に延びる両側町。町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる。大工だいく町と通称された(摂陽見聞筆拍子)。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一九・役数二三役で、うち年寄分一役が無役。年寄は平野屋次郎兵衛。安政三年(一八五六)水帳(大阪市立中央図書館蔵)では屋敷数一九・役数二三役で、うち年寄分・過書年寄分・会所分の各一役が無役。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む