前ヶ崎村(読み)まえがさきむら

日本歴史地名大系 「前ヶ崎村」の解説

前ヶ崎村
まえがさきむら

[現在地名]流山市前ヶ崎

芝崎しばさき村の南東に位置し、田地は北に向かって延びた舌状台地の両側に開ける。西部の谷をさか川の支流富士ふじ川が北流し、同川対岸は幸田こうで村・平賀ひらが(現松戸市)。舌状台地の突端部、字奥台おくのだいには中世の前ヶ崎城跡がある。「本土寺過去帳」には「マイカサキ」「マエカサキ」「前ケサキ」などの表記で地名が散見する。妙厳尼(中・一八日条)には文明七年(一四七五)一月の年紀があり「マイカ崎御前日暁ヲハ」と記され、文明年間と思われる一一月三日には太田道灌の弟六郎や戸張彦次郎が「前ケ崎城落城」により討死している。なお大永二年(一五二二)の年紀がある妙性尼(上・六日条)には「マエカサキ者イセトノ家中」とあって、この「イセ」は前ヶ崎城に関する人物と思われる。

寛永二年(一六二五)知行宛行状で「前ケ崎村弐百弐拾石」などが旗本伊沢政信に与えられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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