流山市(読み)ナガレヤマシ

デジタル大辞泉 「流山市」の意味・読み・例文・類語

ながれやま‐し【流山市】

流山

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「流山市」の解説

流山市
ながれやまし

面積:三五・二八平方キロ

県の北西部に位置し、西は江戸川を挟んで埼玉県三郷市・北葛飾きたかつしか吉川よしかわ市、北はおよそ野田導水路(利根運河)を境として野田市、東は下総台地上で柏市、南はさか川を隔てて松戸市と接する。地形は市域の大部分を占める平均二〇メートル前後の東部の台地、坂川など小河川が台地内部につくる谷津、西部の江戸川沿いに開ける沖積低地からなる。西部低地の南寄りの砂洲に中心市街がある。おもな道路は江戸川沿いに市街を通って北上する県道松戸―野田線(流山街道)、市街で同県道から東方に分岐する県道柏―流山線など。東部を東武鉄道野田線が縦断し、市域に初石はついし駅・江戸川台えどがわだい駅・運河うんが駅がある。南東部台地をかすめるように国道六号が走り、これと交差するJR常磐線が横断する。また南部の低地を馬橋まばし(松戸市)から北上して流山に至る総武流山電鉄が走り、市域の南西端をJR武蔵野線が横切る。市名は近世に河岸や宿が設置され、葛飾郡中央部における商業の中心地の一つであった流山村を継承。

〔原始―中世〕

旧石器時代の遺跡は北部の台地上に中野久木なかのくき遺跡や西深井一の割にしふかいいちのわり遺跡などが確認される。縄文時代の遺跡は数多く、市内各地の低地に接する台地上で発見され、前期は黒浜式、中期は加曾利E式土器の出土が多い。弥生時代の遺跡は三―四ヵ所で、うち加村台かむらだい遺跡と下花輪しもはなわ第二遺跡では中期宮ノ台式期の住居跡が発掘された。古墳は東深井古墳群・ひれさき古墳群・芝崎しばさき古墳群などがある。古墳時代の集落遺跡も四〇ヵ所以上が確認され、多くは後期の遺跡である。加の町畑かのまちはた遺跡では一〇〇軒以上の奈良・平安時代の住居跡や掘立柱建物跡数棟を検出、布目瓦や緑釉陶器片なども出土した。同遺跡からほぼ一キロ南に流山廃寺があり、下総国分寺と同型の法相華文の軒丸瓦が出土する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「流山市」の意味・わかりやすい解説

流山〔市〕
ながれやま

千葉県北西部,江戸川中流部東岸にある市。 1951年流山町と八木 (やぎ) ,新川 (しんかわ) の2村が合体し江戸川町となり,52年に流山町に改称ののち,67年市制。中心市街地流山は近世江戸川水運の重要な河港として繁栄。かつては味醂の醸造で知られた。堤防に沿う市街地の背後に水田地帯が開け,東部に広がる台地では畑作が行われるが東京への通勤者のための住宅地が増加。 JR武蔵野線,東武鉄道野田線,総武流山電鉄が通り常磐自動車道の流山インターチェンジがある。面積 35.32km2人口 19万9849(2020)。

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