朝日日本歴史人物事典 「前田孫右衛門」の解説
前田孫右衛門
生年:文政1.7.28(1818.8.29)
幕末の長州(萩)藩の政治家。大組士で高173石余。名は利済,字は致遠,号は陸山。嘉永5(1852)年,蔵元両人役。安政3(1856)年,当職(国家老)の益田右衛門介の手元役につき,万延1(1860)年,益田の当役への転役により当役手元役。反対のため困難があった洋式軍制改革に尽力した。文久2(1862)年上京して直目付に就き,学習院用掛として政治活動をする。翌年の京都での8月18日の政変後,一時,罷免されたが,用談役の要職に復帰した。元治1(1865)年,長州征討の朝命ののち,野山獄に投じられ,翌日,斬首された。
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報