長門(読み)ながと

精選版 日本国語大辞典 「長門」の意味・読み・例文・類語

ながと【長門】

[一] 山陽道八か国の一つ。大化改新で穴門(あなと)国となり、のち、長門国となる。鎌倉時代には土肥・佐々木氏らが守護となり、元寇以後は北条氏が支配。南北朝時代には周防国守護大内氏がその勢力を伸ばしたが、のち毛利氏が領有、江戸時代には毛利氏三六万九千石の長州藩が置かれた。明治四年(一八七一)の廃藩置県により山口・豊浦・清末の三県に分かれ、同年末岩国県を合わせて山口県となる。長州。
[二] 山口県北西部の地名。日本海に面する。北長門海岸国定公園の観光基地。北部の仙崎港は漁業の基地。青海島(おうみしま)、湯本・俵山の温泉がある。昭和二九年(一九五四)市制。
[三] 太平洋戦争開戦時まで最大の旧日本海軍戦艦。「陸奥(むつ)」と同型。大正九年(一九二〇)の八八艦隊案の一番艦として同年完成。排水量三万二七二〇トン、改装後三万九一三〇トン。速力二六・五ノット。昭和二一年(一九四六)アメリカの原爆実験に供され、ビキニで沈没。

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デジタル大辞泉 「長門」の意味・読み・例文・類語

ながと【長門】

旧国名の一。今の山口県の北西部に相当する。長州。
山口県北西部、日本海に臨む市。水産業が盛んで、仙崎かまぼこの産地。青海おうみ湯本温泉など観光地が多い。平成17年(2005)3月に大津郡3町と合併。人口3.8万(2010)。
旧日本海軍の戦艦。陸奥むつと同型艦。大正9年(1920)八八はちはち艦隊の一番艦として竣工。排水量3万2700トン。第二次大戦敗戦後、ビキニのアメリカ原爆実験の標的艦とされ沈没。

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改訂新版 世界大百科事典 「長門」の意味・わかりやすい解説

長門[市] (ながと)

山口県北西部の市。2005年3月旧長門市と日置(へき),三隅(みすみ),油谷(ゆや)の3町が合体して成立した。人口3万8349(2010)。

長門市中部の旧市で,日本海に面する。1954年市制。人口2万4092(2000)。三方を山に囲まれ,中央を深川(ふかわ)川が北流して深川湾に注ぐ。北東端の仙崎の砂嘴の先に青海(おうみ)島が浮かぶ。仙崎は近世以降北浦沿岸の海運の中心であり,捕鯨基地でもあった。水産加工ではとくに仙崎かまぼこが有名。深川平野は古代の深川郷(《和名抄》)の地で,中世には三条家領深川荘が置かれた。深川の正明市(しようみよういち)は近世には市場町として栄え,現在はJR山陰本線と長門市駅から南にのびる美祢(みね)線との分岐点となっている。深川の赤埼神社の例祭に奉納される南条踊の楽桟敷(がくさじき)は,国の重要有形民俗文化財。深川の大寧(たいねい)寺は,陶晴賢(すえはるかた)の謀反にあった大内義隆が自刃したところ。市内には俵山温泉湯本温泉がある。湯本温泉一帯は音信(おとずれ)川ゲンジボタル発生地(天)。青海島を中心とした海岸線一帯は風光にすぐれ,海上アルプスの異称をもち,北長門海岸国定公園に含まれる。
執筆者:

長門市北西部の旧町。旧大津郡所属。人口4668(2000)。北は日本海に面し,中央を掛淵川が西流する。古代は《和名抄》の日置郷の地で,中世には日置荘が置かれた。中心集落の古市は,萩から下関へ向かう赤間関街道の宿駅,また市場町として栄えた。掛淵川の沖積地は山陰有数の穀倉地帯で,北部の雨乞岳では開拓事業により松,杉,ヒノキなどの育苗が行われる。海岸部は北長門海岸国定公園に属し,深川(ふかわ)湾を臨む地に黄波戸(きわど)温泉(単純泉,22℃)がある。JR山陰本線が通じる。

長門市東部の旧町。旧大津郡所属。人口6419(2000)。東は萩市,西は旧長門市に接し,北は仙崎湾に臨む。中央を三隅川が北西流し,川沿いの平たん地に集落が分布する。南は天井山(602m),権現山(560m)などの山地である。中世には伊勢神宮領三隅御厨が置かれていた。米作中心の農業が行われ,スイカやイチゴの施設園芸,養鶏,養豚が盛んである。また仙崎湾を利用した浅海養殖が盛んで,カキ,ノリの養殖が行われる。木工,食料品などの工場があり,かまぼこを特産。仙崎湾最奥の沢江に,長州藩の天保改革を推進した村田清風の旧宅と墓(史)がある。三隅川沿いの湯免温泉はラジウム含有量の多い単純放射能泉で,近くにプールや公園がある。三隅八幡宮の例祭には,古くから伝わる腰輪踊が奉納される。海岸部は北長門海岸国定公園に含まれ,JR山陰本線,国道191号線が通じている。

長門市西部の旧町。旧大津郡所属。人口8294(2000)。油谷湾を抱いて日本海に突出する向津具(むかつく)半島と,その対岸山地からなる。油谷湾に注ぐ掛淵川とその支流の流域に沖積地が開ける。半島一帯は,平安時代末期の京都新日吉(いまひえ)社領向津奥(むかつく)荘とされている。油谷湾沿岸は天然の良港で,また外海に面する川尻や津黄(つおう)では江戸時代,捕鯨が行われていた。農業,水産業が中心で,ビワ,モモの栽培,肉牛の飼育,養鶏,クルマエビ,ハマチなどの養殖も進められている。新別名(しんべつみよう)や向津具には柿本人麻呂来住伝説が伝わり,新別名には八幡人丸神社が鎮座し,山陰本線人丸駅もある。向津具半島北側,外海に面して〈竜宮の潮吹〉(名・天)とよばれる海食崖がある。激浪が岩壁の穴に突入して平常時には高さ10m,強風時には200mに及ぶ噴潮現象を起こす。半島突端の油谷島に接する俵島(名・天)は玄武岩からなる小島で,柱状節理板状節理によって米俵を積み重ねたような奇観を呈する。JR山陰本線に沿って国道191号線が通じる。
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長門(長野) (ながと)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長門」の意味・わかりやすい解説

長門
ながと

長野県中部,長和町東部の旧町域。蓼科山の北西斜面に位置し,千曲川の支流依田川の中・上流域を占める。 1956年長窪古町,長久保新町,大門村が合体して長和町が成立。 2005年和田村と合体して長和町となった。北部にある中心集落の長久保は近世中山道の宿場町で,当時の面影を残す。北東部の笠取峠付近は別荘地に開発された。ほとんどが山林原野で,高原に点在する牧場で酪農が行なわれる。白樺湖に通じる南部の大門峠付近には,国指定史跡の星糞峠黒曜石原産地遺跡があり,観光開発が進んでいる。一部は八ヶ岳中信高原国定公園に属する。

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デジタル大辞泉プラス 「長門」の解説

長門

日本海軍の戦艦。長門型戦艦の1番艦。1919年進水、1920年就役の超弩級戦艦。40センチ主砲を積んだ日本初の戦艦。太平洋戦争開戦時の連合艦隊旗艦。ミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦などに参加。大戦末期、横須賀停泊中にアメリカ軍の攻撃により中破。敗戦後、賠償艦としてアメリカに引き渡される。1946年、ビキニ環礁での原爆実験の標的艦として使用され、沈没。

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防府市歴史用語集 「長門」の解説

長門

 山口県西半分の旧国名です。国府[こくふ]や国分寺[こくぶんじ]は下関市長府にありました。奈良時代には銅銭[どうせん]を造る鋳銭司[じゅせんし]も置かれていました。

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