シェリー(読み)しぇりー(英語表記)Percy Bysshe Shelley

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シェリー」の意味・わかりやすい解説

シェリー(果実酒)
しぇりー
sherry

スペインの南部、ヘレス・デ・ラ・フロンテラJerez de la Frontera(略してヘレス)地域を中心につくられる酒精強化ワイン甘味果実酒)。こく味とフロール香とよばれる独特の芳香がある。シェリーという名は、スペイン語のJerez、ラテン語でXeresがなまってイギリスに伝えられ、sherris sackとよばれたが、のちにsherryになった。

[原 昌道]

歴史

ワインは紀元前1000年ぐらいにフェニキア人がこのヘレスの街をつくって以来つくられていたが、7世紀ごろからムーア人が侵入してきてイスラム教国となり、ワイン醸造は11世紀中ごろまで中断された。12世紀ごろからふたたびキリスト教化し、ワイン製造も再開され、14世紀になると、この地方でつくられたワインが盛んにイギリスに輸出されるようになった。当時は樽(たる)入りで、帆船で輸送しており、時間がかかるので、ワインの品質を守るため、ワインにブランデーを加え、貯蔵性を高めることが考えられた。なおシェリー酵母で産膜させる技術がいつごろから行われたかはあまりはっきりしない。ワインは放置すれば自然に産膜性酵母が繁殖するものであるから、おそらく自然にこの方法が取り入れられ、ワインの特性が形づくられてきたのであろう。

[原 昌道]

種類と製法

白色系のブドウであるパロミノとペドロ・ヒメネスを、エスパルトという草の茎で編んだ円形の莚(むしろ)の上に広げて24時間天日で乾燥し、十分に糖度をあげたところで絞り、酸度を高めるために焼石膏(しょうせっこう)を加えたのち発酵させる。アルコールが14%ぐらい出て、主発酵が終わると、これをきき酒して上級酒と下級酒に分ける。上級酒のほうは樽に詰め、これにシェリー酵母の皮膜を生やす。この方法にフィノとアモンチラードの2通りの方法がある。フィノは1本1本の樽にワインを4分の3ほど入れ、約半年放置し、その間ワインの表面にシェリー酵母の膜を形成させる。これをフロール(花を咲かせる)という。皮膜が形成されるにしたがい、独特のフロール香が生成し、色も薄くなり、淡黄色になる。フィノとは色が薄いという意味である。これにブランデーを加えて、アルコール18~20%にして、ときには果汁を加えて甘味を調節して製品とする。一方アモンチラードは、前述の皮膜が形成したワインをさらにソレラ法で熟成させてつくられる。これは数十個の樽を一組とし、5~6段に積み重ね、この樽にワインを4分の3ほど入れておく。新しいフィノワインができると、下の樽から4分の1ほど出して製品化し、順次上から下へ4分の1ほど移動し、いちばん上の樽に新しいフィノワインを入れる。どの樽にもシェリー酵母の皮膜が張っており、この皮膜を壊さないように静かに移動する。この酒は黄金色を呈し、こくがあり、香りも高い。

 なお、シェリーにはこれ以外にオロロソ、アモロソといった種類がある。オロロソはシェリー酵母を生やさない方法で樽で熟成させた酒で、色が濃い。甘口と辛口がある。アモロソはオロロソの製造途中で区分けした上等でないほうの酒で、甘口とし、料理用に使われる。またフィノとオロロソをブレンドして甘味をつけたものにクリーム・シェリーがある。

 シェリーに似た酒にベーキング・シェリーがある。これはアメリカのカリフォルニアで始められた酒で、白ワインにブランデーを添加、アルコールを20%ぐらいにし、50~60℃で通気しながら数か月放置する。加温処理によりシェリー香に似た香りが出てくる。ついで濃縮果汁を加えて製品化する。

[原 昌道]

飲み方

フィノ、アモンチラードは一般に辛口で食前酒として、また食中酒として飲まれる。オロロソ、アモロソの甘口酒はデザートとして用いられる。この中間型は、イギリスでは古くから、甘くないビスケットといっしょに昼食に供する習わしがある。またシェリーは、たばこの煙によって香りや味が乱されず、吸いながら飲めるという特徴がある。

[原 昌道]

『ゴンザレス・ゴードン、マヌエル・M著、大塚謙一監訳『シェリー――高貴なワイン』(1992・鎌倉書房)』


シェリー(Percy Bysshe Shelley)
しぇりー
Percy Bysshe Shelley
(1792―1822)

イギリスの詩人。バイロンキーツと並んで19世紀初頭のロマン主義文学を代表する存在。8月4日、サセックス州に生まれる。生来、怪異なものにあこがれる気質が強く、当時流行のゴシック小説に想像力をはぐくまれた。加えてイートン校在学中には自然科学に、オックスフォード大学に入ってからはプラトンなどの形而上(けいじじょう)学に生涯の思想の源を培われた。一方、准男爵で国会議員の父に対する反発心から、既成の権威や道徳を憎む気持ちが烈(はげ)しく、1811年には『無神論の必然性』と題する小冊子を出版したために、大学を1年にして放校されるはめとなった。この夢想と反抗の性癖は、ゴドウィンの『政治的正義』を読むようになってからしだいに対社会的な理想主義に熟していった。放校後まもなく少女ハリエットと駆け落ち結婚したことは、その後2人で旧教徒解放運動などに手を染めたこととともに、こうした義侠(ぎきょう)的理想主義の一つの現れであった。

 1813年、社会改良の夢を歌った最初の長詩『マブ女王』が出るころから、ハリエットへの気持ちはしだいに冷め、かわってゴドウィン家の長女メアリーが、詩人にとって新たな「理想美」となった。1814年シェリーはメアリーとヨーロッパ大陸に走り、帰国後も同棲(どうせい)を続ける間、理想美探究をテーマとした初期の代表作『アラストー』を書いた。1816年にも大陸に渡り、スイスでバイロンと交遊した。この冬、傷心のハリエットが自殺し、メアリーが正式の妻となった。1818年シェリー夫妻は三たび大陸に渡り、イタリア各地を転々とする間に詩劇『プロメテウス解縛』(1820)などの傑作が次々に生まれた。アルノ川畔に迫りくる嵐(あらし)の気配を感じて書き上げた即興詩『西風の賦(ふ)』や、絶妙な音楽と空虚なイメージによって詩的霊感をとらえた『雲雀(ひばり)』などは、日本でも昔から親しまれている叙情詩の珠玉である。1820年からピサに住み、翌年にはキーツの夭折(ようせつ)を悼んだ瞑想(めいそう)詩『アドネイス』と、ロマン派詩観の最高の宣言ともいうべき散文『詩の擁護』を世に問うた。そして1822年7月8日、ダンテの『神曲』に倣った大叙事詩『生の凱歌(がいか)』を執筆中の詩人は、ヨットでイタリア北部のスペツィア湾を帆走中暴風にあい、29歳の生涯を閉じた。その一貫した理想美探究の姿勢は、天賦の叙情的詩才とともに、ロマン主義の精髄として高く評価されている。

[上島建吉]

『上田和夫訳『シェリー詩集』(新潮文庫)』『高橋規矩著『シェリー研究』(1981・桐原書店)』


シェリー(Mary Wollstonecraft Shelley)
しぇりー
Mary Wollstonecraft Shelley
(1797―1851)

イギリスの女流小説家。政治評論家ウィリアム・ゴドウィンと『女性の権利の擁護』の著者メアリー・ウルストンクラフトの娘。母は彼女を生んで死に、継母のもとで育てられた。16歳のとき詩人シェリーとヨーロッパに駆け落ちし、1816年、彼の先妻ハリエットの自殺後、正式に結婚した。高い知性と鋭い感性の持ち主で、怪奇小説『フランケンシュタイン』(1818)、21世紀における人類の滅亡を描く『最後の人』(1826)、自伝的な要素を秘める『ロードア』(1835)などを書き、また夭折(ようせつ)した夫の詩集(4巻)も編んだ。ロンドンで死去。

[佐野 晃]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェリー」の意味・わかりやすい解説

シェリー
Shelley, Percy Bysshe

[生]1792.8.4. サセックス,ホーシャム近郊
[没]1822.7.8. イタリア,スペチア湾
イギリスの詩人。裕福な家に生れ,イートン校を経てオックスフォード大学に進んだが,急進的自由主義者 W.ゴドウィンの思想に影響されて『無神論の必然性』 The Necessity of Atheism (1811) を書いたため退学処分を受け,家を出て 16歳の少女ハリエットと結婚,アイルランド独立運動を支援したり,社会制度の害悪を訴える詩『マブ女王』 Queen Mab (13) を出版するなど,当局から注意人物とみなされた。やがてゴドウィンの娘メアリーを愛するようになり,大陸に駆落ちし,苦難の生活を続けた。いったん帰国して L.ハント,キーツ,ラム,ハズリットらと交際し,ハリエットが自殺するやただちにメアリーと結婚,1818年イタリアにおもむき,再び帰国することはなかった。ヨットで航行中嵐にあい,溺死。作品には,自由と愛を歌った『イスラムの反乱』 The Revolt of Islam (18) ,権力に反抗して解放のためにたたかう英雄的行為を主題にした劇詩『プロメテウスの解縛』 Prometheus Unbound (20) をはじめ,キーツの死をいたむ『アドネイス』 Adonaïs (21) ,抒情詩の極致ともいうべき『西風の賦』 Ode to the West Windなどがある。また詩論『詩の弁護』A Defence of Poetry (40刊) は想像力を賛美し,詩人が「世界の立法者」であることを論じたもの。純粋で激しやすく,対人関係に欠けるところがあったが,イギリス・ロマン主義を代表する詩人の一人と認められる。

シェリー
Shelley, Mary Wollstonecraft

[生]1797.8.30. ロンドン
[没]1851.2.1. ロンドン
イギリスの女流作家。社会思想家 W.ゴドウィンと女権拡張論者 M.ウルストンクラフトの娘。詩人 P.B.シェリーの後妻。恐怖小説『フランケンシュタイン』 Frankenstein; or,The Modern Prometheus (1818) のほか,夫の詩集を編纂。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android