日本大百科全書(ニッポニカ) 「フランクランド」の意味・わかりやすい解説
フランクランド
ふらんくらんど
Sir Edward Frankland
(1825―1899)
イギリスの化学者。ランカシャー州チャーチタウンの生まれ。薬局の徒弟奉公ののち、ロンドンに出てプレイフェアLyon Playfair(1818―1898)のもとで化学を学んだ。ついでドイツのマールブルク大学に留学、ブンゼンのもとで研究し、1849年に学位を得た。1851年以来マンチェスターのオーウェンス・カレッジ、ロンドンのセント・バーソロミュー病院、王立研究所などの化学教授を歴任、1865年王立化学大学(のち鉱山大学に合併)の教授となり、1885年に引退した。
有機化学理論が混乱していた1847年当時、フランクランドはコルベとともにアルキル基を単離する試みを始めた。彼はヨウ化メチルに金属亜鉛を作用させ、生成した炭化水素のエタンを誤って遊離のメチル基と考えたが、このとき同時に最初の有機金属化合物であるジメチル亜鉛が得られた。亜鉛のほかスズや水銀を含むこの種の化合物の性質を研究した結果、1852年に彼はこれらの元素がそれぞれ一定数の有機基または他の原子とのみ結合しうることをみいだした。この考えは原子価の概念の先駆けとなり、やがてケクレが化学構造理論を完成させる基礎となった。彼はまた1863年から1870年にかけて有機金属化合物を用いたさまざまな合成法の研究も行った。
フランクランドの関心は有機化学のほか広い分野に及んだ。1861年ガスの燃焼における空気の圧力と光度の関係を研究、それはガス照明や天体スペクトルの問題に応用され、1868年ロッキャーとともに太陽スペクトル中にヘリウムの暗線を発見した。1866年には筋肉運動のエネルギー源が炭水化物と脂肪にあることを定量的実験によって明らかにした。また、1865年以来ロンドンの上水道の水質管理、および汚水処理問題の解決に尽力した。
[内田正夫]