加治村(読み)かじむら

日本歴史地名大系 「加治村」の解説

加治村
かじむら

[現在地名]田原町加治

しお川と清谷せいや川の合流点の西側に位置する村。「神鳳鈔」に内宮領加治御薗とあるのはこの地であり、金剛証こんごうしよう寺経塚(現伊勢市)発見の経筒に、文治二年(一一八六)の銘があり、「加治御薗下司」とある。中世加治郷と称し、文明年間(一四六九―八七)藤田家貞が領主であった。このうちの清友きよとも名は重代相伝していた久世信康が一八〇貫文で戸田宗光に売却した。明応三年(一四九四)戸田氏は清友名を長興ちようこう寺に寄進し、以後長興寺領として米七七俵余、麦四石余、大豆二石を上納していた(田原近郷聞書)

「改正三河後風土記」に「永禄七年田原の城攻取べき旨本多広高に仰付らる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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