田原町
たはらちよう
面積:七九・一二平方キロ
渥美半島のほぼ中央部にある。北に田原山脈、南に汐川流域の田野をひかえ、東には渥美湾の一部がさらに湾入して田原湾を形成し、西は赤羽根町・渥美町に接する。延文五年(一三六〇)成立の「神鳳鈔」に田原御厨と初めて田原の名が記録されている。また勢谷御薗とあるのは、町の西北を流れる清谷川(汐川の支流)の沿岸一帯の地である。文明一二年(一四八〇)頃戸田宗光が田原築城後、蔵王山南麓にあった黒川宿と称する古来の集落は消滅し、漸次田原へ移って城下町が形成された。
町内には吉胡貝塚をはじめ、縄文・弥生・古墳時代の遺跡や古窯跡が多い。
田原町
たわらまち
[現在地名]福井市田原二丁目
祝町の西北、下呉服町の北にある町。柴田勝家の時代に城下の周囲を囲んでいた堀・土居の外側に、慶長年中(一五九六―一六一五)新しく建置された町であるため土居原町と称し、南北の通りの横町と、これに交差する竪町とに分れる。
田原町
たわらまち
[現在地名]加賀市大聖寺田原町
鉄砲町の東に続き、近世には稗田町と同じく水田地帯であったと考えられる。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図をはじめ古図類にはみえず、明治初期の江沼郡市村尽し(加賀市史料)に「二ツ屋、今は田原町」とあるので、藩政時代に二ッ屋と俗称していたと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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