渥美郡
あつみぐん
面積:一八四・七三平方キロ
田原町・赤羽根町・渥美町
愛知県の最南端に位置し、渥美半島の中部以西を占める。北は内海の渥美湾に面し、南は太平洋遠州灘に臨み、東は豊橋市に接し、西は伊良湖水道を隔てて三重県志摩半島に対する。赤石山脈の南端弓張山脈が豊橋市の東部で台地となり、渥美郡に入って蔵王山から再び隆起し、渥美半島を東西に縦走する分水嶺となっている。北側渥美湾岸は狭い斜面地帯が続き、西端伊良湖に至って砂州となり先端小山の鼻に接する。南側太平洋岸は赤土の台地が続き、海岸は三〇メートルに及ぶ浸食断崖壁である。この断崖は西へいくにしたがって低くなり、赤羽根町で二〇メートルから一〇メートルとなり、渥美町伊良湖の先端部は小山となって海中に突出する。渥美半島の南北の幅は最長距離の地点で八キロある。暖流の影響を受けて高温多湿、夏は南風涼しく、冬は西北風が強く吹き割合に温度が低下する。
渥美郡の名は「延喜式」民部に「渥美」、「和名抄」国郡に「渥美阿豆美」と記されている。昭和三八年(一九六三)に平城宮跡で出土した調塩の木簡に「参河国渥美郡大壁郷海
首万呂 調塩一斗」とあり、この木簡は遅くとも天平一九年(七四七)までと推定されている。「和名抄」記載の渥美郡に和太・大壁・高蘆・礒部・幡太・渥美の六郷があり、高蘆以下四郷はいずれも梅田川流域(現豊橋市)以東と推定される。八世紀頃の郡域は渥美半島全域と現在の豊橋市大半を含むものであった。その境界は東が遠江国浜名郡と国境し、北が三河国八名郡・宝飯郡と接している。古代から近代にわたり旧郡の面積は現在の三倍近くに及んでいた。
〔原始〕
豊橋市牛川町に牛川人骨の出土があり、この地方には古くから原始人の土着が考えられる。現郡域に、縄文中期に田原町野田の籠田遺跡、大久保の雁合遺跡、渥美町北屋敷貝塚があり、縄文後期から晩期にかけて渥美町伊川津・保美の両貝塚、縄文晩期から弥生前期には田原町吉胡貝塚がある。弥生中期・後期には田原町大久保宮西遺跡をはじめ八軒家稲荷・芦ヶ池小山田・加治の遺跡がある。貞観二年(八六〇)に渥美町村松から、寛政四年(一七九二)に田原町南神戸金堀池から、昭和三七年(一九六二)に同西神戸堀山田から、それぞれ銅鐸が出土している。
古墳群は二〇ヵ所余に及ぶ。六世紀後半と推定される田原町の城宝寺古墳・神明社古墳などのほかは小規模であり、いずれも円墳である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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