加藤清正侯(読み)かとうきよまさこうびよう

日本歴史地名大系 「加藤清正侯」の解説

加藤清正侯
かとうきよまさこうびよう

本妙寺本堂前から一〇〇段余の石段を上ったところにあり、清正の法号浄池院殿永運日乗大居士にちなんで浄池(じようち)廟とも称する。「国誌」によれば、慶長一六年六月二四日加藤清正が没し、忠広は「清正侯ノ霊廟ヲ飽田郡池亀荘井芹村中尾山ニ建」とあり、また寺記を引用し、「熊城ニ対ス、層級最頂等ク高下ナシ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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