市街地西端に所在。法華宗本門流、鳳凰山弘教院と号し、本尊は日蓮自筆と伝える曼荼羅。宝徳四年(一四五二)京都
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
熊本市西区にある日蓮宗の寺。山号は発星山(ほつしようざん)。肥後熊本の領主加藤清正の廟所,〈清正公(せいしよこ)さん〉の名で知られている。1585年(天正13)清正が大坂に創建,1600年(慶長5)新たに築かれた熊本城のなかに移転。11年清正は没して熊本西郊中尾山に葬られ,廟を造営して浄池廟と称した。1614年熊本城内の本妙寺が焼亡したのを機に浄池廟のかたわらに移建されたのが現在の本妙寺である。加藤家改易ののち新領主細川氏も崇敬し,寺領400石を給した。この間,後陽成天皇勅願寺となり,永代紫衣を勅許され,また京都六条本圀寺門流の九州総本寺に列し,領内上下の清正崇敬は清正公信仰に発展,西日本一円に伝播し,近世庶民信仰の一中心ともなった。明治維新に際し一時神祭となったが,やがて旧に復した。《日本紀竟宴和歌》(重要文化財)などをはじめ,加藤・細川両家関係の文化財を多数蔵する。
執筆者:池上 尊義
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
熊本市西区花園(はなぞの)にある日蓮(にちれん)宗の寺。発星山と号する。本尊は宗祖奠定(てんてい)大曼荼羅(まんだら)。1585年(天正13)加藤清正が父清忠(きよただ)の冥福(めいふく)を祈り、日真(にっしん)を招き大坂に建立。清正が肥後を領したとき、寺領を熊本城内に移し、さらに清正没後現在の地に移り、清正の菩提(ぼだい)寺となすとともに、日蓮宗六条門流九州総本山となった。境内には本堂のほか加藤清正侯廟(びょう)があり、清正の法号から浄池(じょうち)廟ともよばれている。寺宝のうち、細川斎慈(なりしげ)寄進の短刀、宗尊(むねたか)親王作『日本紀竟宴(にほんぎきょうえん)和歌』二巻は国の重要文化財。また、刀剣(銘九州肥後同田貫藤原正国)、短刀(銘備前長船(おさふね)祐定)、清正拵網代鞘(こしらえあじろさや)の3点は県の重要文化財に指定されている。
[田村晃祐]
…肥後熊本の領主で熱心な法華の信者であった加藤清正を〈清正公(せいしよこ)さん〉と奉称し,所願成就を祈る信仰。この信仰は地域的には清正の旧領で,その廟所(びようしよ)(本妙寺)のある熊本を中心に九州一円に広がる宗派を超越した庶民信仰としてみられ,教団的には日蓮宗旧六条門流寺院を中心に全国的に分布している。この信仰の成立過程には,清正が肥後にはじめて法華信仰を導入した人物として教団的に尊崇されたこと,治水,干拓などにしめされた治世の名君として敬慕されたこと,さらに家系断絶に対する庶民的同情等がその背景にあり,同時に,その廟所である本妙寺が清正の創建以来祈禱寺としての性格を持続していたことによる。…
※「本妙寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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