日本歴史地名大系 「勝幡村」の解説
勝幡村
しよばたむら
東は
「徇行記」によれば、概高一千一九一石余のうち九二八石余は藩士三人の給知。田は三七町四反四畝余、畑は四七町八畝余。「寛文覚書」に戸数一三一、人数五七八とあり、「徇行記」は「津島街道筋三宅川ノ東、農屋建ナラヒ大郷ナリ(中略)甚目寺ヨリ濃州高須ヘノ置郵ノ村ニテ小駅ナリ、サレハ問屋・茶屋モ二、三戸アリ、清須街道モコヽヘ入合ヘリ、此村高ニ準シテハ戸口多ク、耕田村切ニテハ不足カ故ニ津島村・佐折村・古瀬村・千引村アタリノ田畝ヲ承佃スト也、又農隙ニハ小商ヒ往還人夫ノカセキヲスル者アリ、此村地割ヲスル事ナシ」とする。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報