勝野郷
かつのごう
遠賀川中流域、庄内川分流地点付近の現小竹町勝野を遺称地とし、同所を含む一帯に比定される中世の郷。紀州高野山金剛三昧院領粥田庄に含まれていた。永仁元年(一二九三)一一月日の粥田庄預所用米目録案(金剛三昧院文書/鎌倉遺文二四)に「勝野」とみえ、当地には預所給田二町二反があり、預所用米として一五石九斗余が記載されている。嘉暦二年(一三二七)一二月一六日、鎮西探題北条英時は筑前守護武藤貞経・豊前守護糸田貞義に対し、「勝野郷先名主四郎義直」を謀書の咎で召捕らえるよう命じている(「鎮西御教書」同文書/鎌倉遺文三八)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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