小竹町(読み)こたけまち

日本歴史地名大系 「小竹町」の解説

小竹町
こたけまち

面積:一四・一八平方キロ(境界未定)

鞍手郡の東端部に位置し、北から東は直方のおがた市、北西宮田みやた町、南は飯塚市南東嘉穂かほ頴田かいた町に接する。町の中央を遠賀おんが川が貫流し、左岸堤防に沿って国道二〇〇号とJR筑豊本線が通る。また頴田町から当町に入った庄内しようない川は、御徳ごとく付近で遠賀川右岸に合流する。御徳の合屋ごうや古墳は町域に現存する唯一の石室古墳として知られる。中世には紀州高野山金剛三昧こんごうざんまい院領粥田かいた庄の内で、勝野かつの吉野よしのが同庄内の地名として史料に散見する。延文四年(一三五九)には、征西将軍宮懐良親王が菊池武光らを従えて御徳の吉野山に在陣し、島津・大友両氏と争ったと伝える(小竹町史)。永正三年(一五〇六)・同一六年に勝野山で大内氏と少弐氏が戦ったほか、戦国期には町域で麻生氏・杉氏・大友氏・島津氏らによる戦いが繰返された(同書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小竹町」の意味・わかりやすい解説

小竹〔町〕
こたけ

福岡県中部,遠賀川中流域,飯塚市の北東にある町。 1928年勝野村が改称して町制。 1889年に炭鉱が開かれ,以後大手の炭鉱や旧海軍炭鉱ができ,石炭の町として繁栄。最盛時の人口は約2万。石炭産業の不振に伴い大手の炭鉱が広い鉱害地を残して閉山。その後,産炭地域振興事業により工場用地が造成され,現在は機械,電話機部品,コンクリートプレハブ住宅などの中小工場が立地している。 JR筑豊本線,国道 200号線が通る。面積 14.28km2(境界未定)。人口 7151(2020)。

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