勧農城跡(読み)かんのうじようあと

日本歴史地名大系 「勧農城跡」の解説

勧農城跡
かんのうじようあと

[現在地名]足利市岩井

渡良瀬川東岸の岩井いわい山に位置し、岩井山城ともいう(関八州古戦録)。長尾系図(長林寺蔵)によると、足利庄代官に補任された長尾景人は文正元年(一四六六)一一月一五日に足利庄勧農の地に入部しており、当城の築城はこの前後と推定される。文明三年(一四七一)の山内上杉方と古河公方方との足利周辺での合戦に際しては、上杉顕貞の家臣長尾景信らが当城に駐留している(松陰私語)。永正年間(一五〇四―二一)長尾景長が足利城に移った後は、長尾氏の支城となったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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