勾田村(読み)まがたむら

日本歴史地名大系 「勾田村」の解説

勾田村
まがたむら

[現在地名]天理市勾田町・御経野ごきようの

丹波市村東南に所在。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳に「勾田庄(中略)五大(田脱カ)一町」とあり、小字五大院ごだいいんが現存する。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「勾田庄正願院十四丁八反(中略)十四石五斗 定米安位寺殿(経覚)」とあり、「経覚私要鈔」の応永二二年(一四一五)一二月一日条には「諸御領下司・公文支配事(中略)勾田公文」と記す。

慶長郷帳にみる村高四二八・四八石。慶長五年(一六〇〇)織田長益(有楽斎)領。元和元年(一六一五)戒重かいじゆう(のちの芝村藩)領となる。「大和志」に「勾田属邑四」とある。属邑のうち御経野ごきようの村は明治五年(一八七二)三月五日、勾田村から分離独立している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android