北久宝寺町三丁目(読み)きたきゆうほうじまちさんちようめ

日本歴史地名大系 「北久宝寺町三丁目」の解説

北久宝寺町三丁目
きたきゆうほうじまちさんちようめ

[現在地名]東区北久宝寺町二―三丁目

北久宝寺町二丁目の西に続き、さかい筋から難波橋なにわばし筋を経て中橋なかばし筋まで。町名は明暦元年(一六五五)の水帳奥書写(安政三年「水帳」大阪市立中央図書館蔵)にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数三二・役数五三役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は吉野屋与三兵衛。安政三年(一八五六)には屋敷数三四・役数五三役で、うち年寄分・会所分各一役が無役(同年水帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む