日本歴史地名大系 「北之町」の解説
北之町
きたのちよう
[現在地名]貝塚市北 町・北・堀 一丁目
貝塚寺内の町区画の一つで、もっとも北に位置する。嘉永三年(一八五〇)の人数一千六六二人、同年貝塚御坊の施粥を申出た困窮の家数七二軒・人数二一一人(同年「御執次方日録」卜半家文書)、明治二年(一八六九)の戸口は三七二軒・一千四六九人で(「明治二年日記」同文書)、寺内五町のうち最も戸口規模が大きい。したがって町年寄も二―三人出していた(延宝四年「一札」北野家文書ほか)。町内には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報