…最盛期は元禄(1688‐1704)ごろで,四条通りに面して南側に3軒,北側に2軒が向かいあい,大和大路上ル常盤町の2軒とあわせて7軒の劇場がそろい,近隣の祇園,宮川町,先斗町の遊里とともに賑わった。その後興亡をくりかえしたが,幕末には南北2軒だけとなり,1893年四条通りの拡張工事によって北側芝居(北劇場,北座)は廃止され,南側に残った1軒が現在の南座である。江戸時代を通じて名代,座本は一定しなかったが,おもに都万太夫(みやこまんだゆう)と布袋屋(ほていや)梅之丞であった。…
※「北座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」