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南座 みなみざ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南座
みなみざ

京都市東山区四条にある劇場元和年間 (1615~24) に公許となった7つの (やぐら) の一つ。元禄年間 (88~1704) の初めには,この7つは統合,廃絶され四条河原南北両側の3座となる。おもな名代都万太夫早雲長太夫,亀屋粂之丞,布袋屋梅之丞らであり,座名は座本名で呼ぶのを慣例とした。南座という現在の名称は明治中期以後。ただし幕末には南の芝居または南側の芝居と呼称。 1906年松竹の所有となり,現在の建築は 29年のものを改築。昔の芝居前の面影を,櫓,庵 (いおり) 看板に残して,現在もなお 12月には顔見世の名目を伝える唯一の劇場となった。

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デジタル大辞泉の解説

みなみ‐ざ【南座】

京都市東山区にある劇場。元和年間(1615~1624)に京都で公許された七座の一。四条通の南側にあったことから、南座と称された。現在の建物は昭和4年(1929)に改築されたもの。毎年12月の顔見世興行は京都の名物。

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世界大百科事典 第2版の解説

みなみざ【南座】

京都市東山区四条大橋東詰南側の劇場。鴨川の四条河原は室町期から田楽,猿楽勧進興行がたびたび催されていたが,応仁の乱後は一時途絶えた。その後慶長(1596‐1615)初期五条河原の南で行われていた芝居が四条河原に移り,元和年間(1615‐24)に7ヵ所の櫓(やぐら)(芝居小屋)が公許された。寛文年間(1661‐73)鴨川の護岸工事によって新地が開拓され,祇園新地の発生とともに興行街となった。最盛期は元禄(1688‐1704)ごろで,四条通りに面して南側に3軒,北側に2軒が向かいあい,大和大路上ル常盤町の2軒とあわせて7軒の劇場がそろい,近隣の祇園,宮川町先斗町遊里とともに賑わった。

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大辞林 第三版の解説

みなみざ【南座】

京都市四条にある歌舞伎劇場。元和(1615~1624)年間公許の七座の一。12月の顔見世興行は祇園の芸妓の総見などで賑わう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南座
みなみざ

京都市東山区四条にある劇場。元和(げんな)年間(1615~24)に公許された京七座の一つ。座名は、古くは座本名でよび一定しなかったが、四条通の南側にあり、南の芝居、南側の芝居ともよんだ。明治中期にはこの劇場だけが生き残り、南座の名称に定着。1906年(明治39)松竹合名社の経営となる。1929年(昭和4)、桃山式、破風(はふ)造、古風な櫓(やぐら)を残した鉄筋コンクリート造の近代的建築となった。さらに1991年(平成3)の改築では、内部の全面改修を行い、最新設備を整えた近代劇場となった。各種商業演劇を上演、また京都唯一の歌舞伎(かぶき)劇場でもあり、毎年12月の顔見世(かおみせ)興行が京都の年中行事として名物となっている。観客定員1086名。[菊池 明]
『京都・南座の記録出版委員会編『京都・南座の記録――やわらかい劇場論』(1990・六耀社)』

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