日本歴史地名大系 「北徳益村」の解説 北徳益村きたとくますむら 福岡県:山門郡大和町北徳益村[現在地名]大和町徳益南徳益村の北、矢部(やべ)川の支流塩塚(しおつか)川左岸にあり、東は垂見(たるみ)村(現三橋町)。三池(みいけ)街道が通る。近世中期までは南徳益村と一村で徳益村を形成。分村した年代は不詳であるが、享保一九年(一七三四)二月に北徳益村の庄屋又市が享保一七年の凶年の際献金や村民の救済を行ったことを賞されており(「郡役所日記」郡郷)、享保年間にはすでに南北に分村していたようである。だが元禄国絵図・天保郷帳とも徳益村一村として記される。享和二年(一八〇二)の垂見組村々戌夫米御目録(松本家文書)には北徳升村とあり、高四九七石余、南徳升村よりの入地八石余があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by