北槙町(読み)きたまきちよう

日本歴史地名大系 「北槙町」の解説

北槙町
きたまきちよう

[現在地名]中央区八重洲やえす二丁目・京橋一丁目

中橋広小路なかばしひろこうじ町の西にあり、北は上槙町、南は富槙とみまき町、西は外堀に沿った御堀端通。東西に続く片側町。正保年間(一六四四―四八)に中橋入堀東半が埋立てられたのち設けられた火除地中橋広小路は、享保五年(一七二〇)頃から南北両側が蔵地となり、元文三年(一七三八)には北側が幕府用達商人の拝領地となって、天明七年(一七八七)に町地として起立された(享保年中江戸絵図・沿革図書)町名は南槙町に対して付けられたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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