日本歴史地名大系 「北鏡屋町」の解説 北鏡屋町きたかがみやちよう 大阪府:堺市堺北鏡屋町[現在地名]堺市錦之(にしきの)町東(ひがし)一―二丁錦之町の東にある山口(やまのくち)筋を挟む両側町。元禄二年(一六八九)堺大絵図に「北鏡屋町」とあり、東頬一七筆・西頬一七筆の宅地で、町会所は西頬裏通りの東六間(ひがしろつけん)筋に面する。所属町組は南糸屋(みなみいとや)町に同じ。寛政一一年(一七九九)の家数三五、石銀高一九六匁余、家役五二(うち無役一・八八)、年寄は紙屋三右衛門(堺市史)。西頬にある山口家住宅(国指定重要文化財)は、越前屋久右衛門を名乗った堺の豪商で北庄(きたしよう)村庄屋の居宅である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by