北庄(読み)きたのしょう

精選版 日本国語大辞典 「北庄」の意味・読み・例文・類語

きたのしょうきたのシャウ【北庄】

  1. 福井市旧称。寛永元年(一六二四)、松平忠昌が改名するまでよばれた。元祿年間(一六八八‐一七〇四)に福井となった。

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日本歴史地名大系 「北庄」の解説

北庄
きたのしよう

「芸藩通志」は中筋古市なかすじふるいち東野ひがしのと現安佐北区の小田おだ矢口やぐちの四村を北庄とし、小田八幡神社も古くこの四村を祭祀圏としていたから、小田八幡を荘園鎮守社とする荘園であったと思われるが、領主や伝領経緯などいっさい不明。

「芸藩通志」高宮たかみや郡の明光みようこう(現安佐北区)の項に「寺に朱字の法華経八巻を蔵す、文治三年丁未十二月四日未時許、於閻浮提大日本国安芸国北庄深河書写畢」とみえ、正応二年(一二八九)正月二三日付の沙弥某譲状(田所文書)は「原郷田畠六丁三反六十歩」の内訳に「一所畠二反 北庄堺」、また別に「北庄福田入道」などとも記す。これらによれば中世前期には北庄ははら郷に接した地で、深川ふかわ(現安佐北区)福田ふくだ(現東区)などを含んだ地ということができる。しかし深川・福田は田門たと庄域とする史料(建暦二年八月一九日付「佐伯考支同大子連署譲状写」毛利家文書など)もあって、検討の余地を残す。

大永七年(一五二七)四月二四日付で白井縫殿助膳胤へ宛てた大内義興宛行状(「閥閲録」所収白井友之進家文書)のなかに「佐東北庄参百貫地」とみえて以降、北庄の地名はしばしば現れる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北庄」の意味・わかりやすい解説

北庄
きたのしょう

中世における福井市の呼称。足羽御厨(あすわのみくりや)・足羽社(やしろ)庄の北部、足羽川沿いの一帯をいう。鎌倉時代の守護所、南北朝時代の朝倉氏の居館はここに置かれた。ただし、越前(えちぜん)国府は府中(越前市)にあり、朝倉氏も室町時代に一乗谷(いちじょうだに)へ移住、北庄が一国の中心地となったのは、1575年(天正3)柴田勝家(しばたかついえ)の入部以後のことである。ここに築城し、城下町を形成した勝家は、83年豊臣(とよとみ)秀吉と争って敗死し、これによって北庄の名は広く知られることとなった。1600年(慶長5)に入部した松平秀康(ひでやす)により整備され、1624年(寛永1)松平忠昌(ただまさ)の代に福居、元禄(げんろく)(1688~1704)ごろ福井と改称された。

[金龍 静]

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百科事典マイペディア 「北庄」の意味・わかりやすい解説

北庄【きたのしょう】

福井県(越前(えちぜん)国)福井市の旧称。北陸街道が通る交通の要衝。地名の由来は,足羽(あすわ)御厨の北に位置したことによるなど諸説がある。1575年織田信長は柴田勝家をこの地に配して北陸経営の拠点とし,勝家は九重の天守をもつ北庄城(福井城の前身)を築いた。1583年豊臣秀吉が勝家を滅ぼしたのちは丹羽長秀堀秀政らが入り,関ヶ原戦後徳川家康の二男結城秀康が入封,越前68万石余を領した。1624年福居,のち福井と改称され,福井城下として繁栄。→福井藩

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北庄」の意味・わかりやすい解説

北庄
きたのしょう

福井市の旧称。古くは,一条院領足羽御厨の北庄であったことにより,この地名がある。戦国時代,朝倉氏が領有したが,天正3 (1575) 年,柴田勝家が入府して築城し,領国経営にあたった。同 11年勝家が豊臣秀吉に滅ぼされてのち,丹羽長秀,堀秀政,青木一矩らが領したが,関ヶ原の戦いののち結城秀康が受封し,寛永1 (1624) 年松平忠昌の入封以来,福井と改称された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「北庄」の解説

北庄
きたのしょう

現在の福井市の旧称。足羽御厨(あすわのみくりや)の北荘であったためとも,足羽川の北岸にあったためともいう。中世,北陸道ぞいで平野中央部のため朝倉領国下で重要拠点の一つとなり,朝倉氏滅亡後の1575年(天正3)柴田勝家が北陸経営の拠点として北庄城を築き,城下町となる。柴田氏は1583年豊臣秀吉に滅ぼされ,関ケ原の戦後は徳川親藩の城下町となり,寛永~元禄期は福居,その後は福井と名を変えた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「北庄」の解説

北庄
きたのしょう

福井市の旧称。戦国時代以来,越前国の中心
三国港に近く物資の流通の便があった。中世,朝倉氏の領国における重要拠点であり,朝倉氏(一乗谷)滅亡後は,柴田勝家が築城し城下町を設営。関ケ原の戦い後,結城秀康(徳川家康の2男)が入部し,拡張整備につとめた。3代忠昌のとき福居(のち福井)と改称。現在,福井県の県庁所在地。

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事典・日本の観光資源 「北庄」の解説

北庄

(岡山県久米郡久米南町)
日本の棚田百選」指定の観光名所。

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