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北庄 きたのしょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北庄
きたのしょう

福井市の旧称。古くは,一条院領足羽御厨の北庄であったことにより,この地名がある。戦国時代,朝倉氏が領有したが,天正3 (1575) 年,柴田勝家が入府して築城し,領国経営にあたった。同 11年勝家が豊臣秀吉に滅ぼされてのち,丹羽長秀堀秀政青木一矩らが領したが,関ヶ原の戦いののち結城秀康が受封し,寛永1 (1624) 年松平忠昌の入封以来,福井と改称された。

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百科事典マイペディアの解説

北庄【きたのしょう】

福井県(越前(えちぜん)国)福井市の旧称。北陸街道が通る交通の要衝。地名の由来は,足羽(あすわ)御厨の北に位置したことによるなど諸説がある。1575年織田信長は柴田勝家をこの地に配して北陸経営の拠点とし,勝家は九重天守をもつ北庄城(福井城前身)を築いた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

北庄
きたのしょう

中世における福井市の呼称。足羽御厨(あすわのみくりや)・足羽社(やしろ)庄の北部、足羽川沿いの一帯をいう。鎌倉時代の守護所、南北朝時代の朝倉氏の居館はここに置かれた。ただし、越前(えちぜん)国府は府中(越前市)にあり、朝倉氏も室町時代に一乗谷(いちじょうだに)へ移住、北庄が一国の中心地となったのは、1575年(天正3)柴田勝家(しばたかついえ)の入部以後のことである。ここに築城し、城下町を形成した勝家は、83年豊臣(とよとみ)秀吉と争って敗死し、これによって北庄の名は広く知られることとなった。1600年(慶長5)に入部した松平秀康(ひでやす)により整備され、1624年(寛永1)松平忠昌(ただまさ)の代に福居、元禄(げんろく)(1688~1704)ごろ福井と改称された。[金龍 静]

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