千秋藤篤 せんしゅう-ふじあつ
1815-1864 江戸時代後期の武士。
文化12年8月30日生まれ。加賀金沢藩士。江戸昌平黌(しょうへいこう)にまなび,藩校明倫堂助教,世子前田慶寧(よしやす)の侍講となり,尊攘(そんじょう)論をとなえる。元治(げんじ)元年禁門の変では萩(はぎ)藩との衝突をさけるため慶寧の京都からの撤退を主張。帰藩後捕らえられ,同年10月18日切腹。50歳。通称は順之助。号は有磯,顧堂など。著作の「治穢多之議(えたおさむるのぎ)」は部落解放論の嚆矢(こうし)とされる。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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千秋藤篤 (せんしゅうふじあつ)
生年月日:1815年8月30日
江戸時代末期の尊皇論者;儒学者
1864年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の千秋藤篤の言及
【部落解放運動】より
…とくに江戸時代後期には,岡山藩で起こった[渋染一揆]をはじめ,厳しい支配と差別に対する抵抗が強まった。また幕末期には,加賀藩の千秋藤篤(有磯)や日出(ひじ)藩の帆足万里らが身分解放論を唱え,明治維新期には,加藤弘之や大江卓らが賤民身分の廃止を主張した。明治政府は1871年(明治4),その富国強兵政策の一環として,太政官布告により封建的賤民身分の廃止を宣言した(いわゆる〈解放令〉)。…
※「千秋藤篤」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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