千葉常秀(読み)ちば・つねひで

朝日日本歴史人物事典 「千葉常秀」の解説

千葉常秀

生年生没年不詳
鎌倉前期の御家人。胤正の子。祖父常胤に従って平家追討に参加,九州に渡った。建久1(1190)年常胤の勲功賞を譲られて左兵衛尉に任官した。両総に分布する上総広常旧領などのほか,九州の薩摩,豊前にも所領を得て鎌倉幕府内で重きをなした。嘉禄1(1225)年下総守,その後,上総介となる。また建保1(1213)年の和田の乱(建保合戦)ののち,上総守護に補された可能性が強い。<参考文献>野口実「上総千葉氏について」(『千葉史学』5号)

(野口実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「千葉常秀」の解説

千葉常秀 ちば-つねひで

?-? 鎌倉時代武将
千葉胤正(たねまさ)の子。千葉成胤の弟。建久(けんきゅう)元年(1190)源頼朝の京都行きにしたがい左兵衛尉(さひょうえのじょう)に任じられる。嘉禄(かろく)元年下総守(しもうさのかみ),のち上総介(かずさのすけ)となった。通称は境平次。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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