日本歴史地名大系 「南並木村」の解説 南並木村みなみなみきむら 千葉県:香取郡多古町南並木村[現在地名]多古町南並木中村(なかむら)新田の北東、栗山(くりやま)川と借当(かりあて)川の合流する水田地帯に突き出た台地南端に位置する。中世は千田(ちだ)庄に属した。建武年間(一三三四―三六)とみられる年未詳八月二日の悟円書状(金沢文庫文書)には「自千葉侍所、廿七日以大勢、土橋城へ打入候て(中略)此城被打落て候、並木の城も、如本千葉方より、たてつき候よし承候」とある。建武二年から翌年にかけて、千田庄内では千葉介貞胤と千葉(千田)胤貞の対立から紛争が生じたが、このとき胤貞方の拠る土橋(つちはし)城とともに、並木・大島(おおしま)などの諸城が陥落している。平台(ひらだい)には並木城跡があり、土塁・空堀に囲まれた単郭方形の遺構が残る。寛文一三年(一六七三)の反別七通書(柏熊区有文書)によると、高二一六石余、反別は田一六町六反余・畑七町八反余(うち屋敷七反余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by