南五百川村(読み)みなみいもがわむら

日本歴史地名大系 「南五百川村」の解説

南五百川村
みなみいもがわむら

[現在地名]下田村南五百川

五十嵐いからし川に駒出こまで川が合流する辺りにあり、東は北五百川村、南は名下みようげ村・大谷地おおやち村。正保国絵図に「西五百川村」とあるのが当村と思われ、高五〇石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では二六石五斗余・家六戸。文化一一年(一八一四)の森町組家数書上帳(金子泰夫氏蔵)では家数一八、ほかに肝煎一。寛文年間(一六六一―七三)検地帳(藤田稔氏蔵)によれば田方二町六反五畝余・畑方三町三畝、名請人一人、うち屋敷持五であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む