日本歴史地名大系 「下田村」の解説
下田村
しもだむら
正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に下田村、一四〇石余とあり、同年の郷村帳によれば一四〇・一五二石のうち七一・八四石が田である。
下田村
しもだむら
北上川と
下田村
しもだむら
筑後川下流右岸にある。永禄三年(一五六〇)堤氏が下田城を
文禄四年(一五九五)の知行方目録に村名がみえ、高三八二石余・葭方七四石余。慶長一三年(一六〇八)九月二五日、当村の四郎左衛門は刀・脇差・槍の所持を許された(「月瀬右馬丞奉書写」古文書類集)。
下田村
しもだむら
下田村
しただむら
- 新潟県:南蒲原郡
- 下田村
南蒲原郡の南東にあり、東は福島県
下田村
しもだむら
- 高知県:南国市
- 下田村
天正一五年(一五八七)の片山郷下田村地検帳によれば、
下田村
しもくしだむら
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
北東から北に
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
- 高知県:中村市
- 下田村
下田村
げだむら
下田村
しもたむら
- 高知県:南国市
- 下田村
当地域は「和名抄」記載の
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
- 兵庫県:相生市
- 下田村
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
下田村
みさだむら
常願寺川右岸、
下田村
しもだむら
旭川の支流、
日蓮宗妙伝(典)寺があったが、寛文六年(一六六六)に住僧が還俗して廃寺となり(「寛文年中亡所仕古寺跡書上帳」池田家文庫)、また寛文年中に村内の六社を宇甘上村の枝村下畑の寄宮へ合祀した(「御領内寄宮記」同文庫)。
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
下田村
しもひえだむら
- 福岡県:行橋市
- 下田村
下田村
しもだむら
- 東京都:日野市
- 下田村
下田村
しもだむら
下田村
しもよもぎだむら
下田村
しもたむら
下田村
しもだむら
下田村
しもだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報