日本歴史地名大系 「南勘四郎町」の解説 南勘四郎町みなみかんしろうまち 大阪府:大阪市南区南勘四郎町[現在地名]南区南船場(みなみせんば)三―四丁目車(くるま)町の西にある両側町。町域は心斎橋(しんさいばし)筋から五幸(ごこう)町までの間で、御堂(みどう)筋・佐野屋橋(さのやばし)筋・渡辺(わたなべ)筋が南北に通る。もと勘四郎町の一部で、延宝七年(一六七九)塩町(しおまち)通の部分が南勘四郎町になった(→北勘四郎町)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数五八・役数六四役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は玉屋太兵衛。延享版「難波丸綱目」には播磨国問屋・紀伊国問屋として古金屋甚兵衛、備後国問屋・京積醤油屋・晒蝋屋・造り酢屋各一、医師二・医師小児方一、俳諧師小西来山門下井上布門が載る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by