南勘四郎町(読み)みなみかんしろうまち

日本歴史地名大系 「南勘四郎町」の解説

南勘四郎町
みなみかんしろうまち

[現在地名]南区南船場みなみせんば三―四丁目

くるま町の西にある両側町。町域は心斎橋しんさいばし筋から五幸ごこう町までの間で、御堂みどう筋・佐野屋橋さのやばし筋・渡辺わたなべ筋が南北に通る。もと勘四郎町の一部で、延宝七年(一六七九)塩町しおまち通の部分が南勘四郎町になった(→北勘四郎町。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数五八・役数六四役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は玉屋太兵衛。延享版「難波丸綱目」には播磨国問屋・紀伊国問屋として古金屋甚兵衛、備後国問屋・京積醤油屋・晒蝋屋・造り酢屋各一、医師二・医師小児方一、俳諧師小西来山門下井上布門が載る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 御堂 打毀

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む