南鍛冶町
みなみかじまち
[現在地名]仙台市南鍛冶町
荒町の南東、穀町のほぼ北、当町で西折する通町通(奥州街道)の両側町。町の長さは四町で(奥陽名数)、一里づめの札があった(仙台鹿の子)。東は足軽屋敷の五十人町・三百人町など。町方二四町の二四番目に列し、二三番は北鍛冶町(明治二二年城下町検断肝入職制写「仙台市史」所収)。町名の由来は米沢以来の鍛冶職衆が主として住んだことによる。開府当初、鍛冶職衆は本鍛冶町に配置されたが、同地が侍屋敷とされたため二ヵ所に分けて移したものとされる。正保仙台城絵図では当町名がみえ、本鍛冶町区域が侍屋敷となっており、北鍛冶町も記載されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 