古要神社(読み)こようじんじや

日本歴史地名大系 「古要神社」の解説

古要神社
こようじんじや

[現在地名]中津市伊藤田 洞ノ上

ほきうえの中央部にあり、旧村社。祭神は息長足姫命、一説には八幡三座。応永年間(一三九四―一四二八)一一月二五日の宇佐公則等連署安堵状案(到津文書)に「前権擬少宮司頼輔跡古表社司職同免田畠千万名水垣一町」とみえる。永享五年(一四三三)一二月一三日の宇佐宮寺造営并神事法会再興日記目録(同文書)の応永二七年八月条に「ママ宮・若宮、自頓宮浮殿ニ御臨幸在之、龍頭鷁首船ハ社家役、伶人乗之、青海波奏之、古表船二艘、一艘ハ下毛郡千間名所役也、一艘ハ上毛郡吉富郷所役也、於海上天傀儡舞之」とあり、中世には上毛こうげ郡の古表こひよう(現福岡県吉富町)と同様に傀儡舞を宇佐宮放生会に奉納していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の古要神社の言及

【中津[市]】より

…留守居町には中津藩士であった福沢諭吉の旧居(史)と福沢記念館,新魚町に池大雅の書画を多く蔵する大雅堂(奥平氏の菩提寺自性寺の奥書院)があり,城跡は中津公園になっている。伊藤田の古要(こよう)神社は60体の傀儡(くぐつ)人形を蔵し,傀儡の舞と傀儡相撲が伝えられ,閏年の10月12日に奉納される。また,北原(きたばる)の原田神社では毎年2月4日に北原人形芝居が演じられる。…

【人形浄瑠璃】より

文楽【斎藤 武】
【人形の操法と仕掛の変遷】
 大江匡房(1041‐1111)の《傀儡子記(くぐつき)》によると,日本の人形芝居は中国から輸入された傀儡子(くぐつ)まわしが起源とされる。福岡県の古表神社,大分県の古要神社に残る相撲人形に古形を見ることができる。世界の人形劇の操法には(1)手遣い,(2)指遣い(ギニョル),(3)糸操り(マリオネット),(4)棒遣い,(5)幻灯人形,(6)からくり人形,(7)写し絵の七つがあるが,人形浄瑠璃に用いられるものは手遣いで,日本独特の操法といわれる。…

【民俗芸能】より

…秋田県鹿角市の大日堂舞楽のほか,山形,新潟,富山,静岡各県に多く伝承されている。(5)人形芸 桑の木の御神体を手にして語る東北の〈おしら遊び〉は日本の人形芸の原始を示す例だが,大分県の古要(こよう)神社などに伝わる神人形は朝鮮半島の人形とも似て,大陸伝来の人形芸の古風をしのばせる。海辺の村々を漂泊したという平安時代の傀儡(くぐつ)のおもかげは,いまも徳島県の夷(えびす)まわしにも見られ,江戸時代に発達した一人遣いの人形芝居や,大坂で完成した三人遣いの文楽系の人形芝居も各地に分布している。…

※「古要神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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