わか‐みや【若宮】
〘名〙
※大和(947‐957頃)一一「亭子院のわか宮につきたてまつり
給て」
※建内記‐永享一一年(1439)二月五日「若宮自
二細川下野守〈御産所也〉宿所
一、今夜俄渡
二御左衛門督〈
略〉今出川亭
一」
※
朝野群載‐一二・宇佐使宣命書様(939頃)「
宇佐八幡〈略〉此宮に御座す若宮若姫両所太神」
④ はげしく祟る
無縁の霊を斎
(いわ)い込めるため、大きな
神格の支配下においてまつり始めたもの。
祠にまつったりする。
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若宮【わかみや】
激しく祟(たた)りやすい霊魂を偉大な神格の御子神(みこがみ)や眷属(けんぞく)神として祭ること。八幡神が応神天皇だから八幡若宮の祭神は皇子の仁徳天皇と解釈するような例もあるが,多くは非業の死をとげたり人柱になった人間の霊をまつって怒りをやわらげるとともに,強力な神の支配下に置いて祟りを封じこめようとした。御子神の信仰を広げたのは神の託宣が幼児や女性の口から伝えられるという巫女(みこ)の信仰で,巫女自身神の子と称して自分を権威づけたのであろう。全国に分布する若宮信仰の背後にも若宮部と称する託宣を行う集団の活動があった。→王子信仰
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若宮
わかみや
本宮をほかの地に新しく勧請して祀った新宮,または本宮の祭神の御子神を祀った神社の意。また非業の死をとげ,人々にたたりやすい御霊を祀り,その怒りをやわらげ,同時に強力な神の支配下においてたたりを封じ込めようとしたやしろをいうこともある。後者は巫女,祝 (はふり) らによって広く伝播された。
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わか‐みや【若宮】
1 幼少の皇子。また、皇族の子。
2 将軍の子の僭称。
3 本宮の祭神の子を祭った神社。
4 本宮の祭神の分霊を新たに勧請した神社。新宮。
[類語]皇子・御子・王子・親王・皇太子・東宮・プリンス
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わかみや【若宮】
本宮に対する新宮,親神に対する御子神をいう。八幡宮における若宮八幡(仁徳天皇),春日社の春日若宮(天押雲根命)などがその代表的な例である。若宮をまつるに至った経緯を各地に残る若宮社の縁起類からうかがうと,巫女の託宣によるものが多い。若宮の成立の背後には神をまつる巫女と母子神信仰との深いかかわりが存在していた。また巫女の託宣により示された若宮は非業の死をとげたために人々に災いをもたらし,たたるものであった。
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世界大百科事典内の若宮の言及
【若王子】より
…若一王子(にやくいちおうじ)ともいう。《長秋記》長承3年(1134)の記事で〈若宮(わかみや)〉とあるのが本来の呼称であろうが,平安末期の《梁塵秘抄》には〈若王子〉と見える。若王子は京都の白川の禅林寺の北に同じころ勧請され,〈白川熊野〉ともよばれたが,鎌倉・室町幕府からは所領を寄進され,京都郊外の花の名所でもあったし,全国の具足屋(甲冑の職人,商人)の信仰を集め,若王寺とも記された。…
【別宮】より
…その場合,別宮は神領とともに本社で管理された。(3)そのほかに今宮,若宮など,さらに神幸祭の頓宮,お旅所,また旧社地に奉斎してある社のことを別宮と称しているように,幾種にか分類される。【鎌田 純一】。…
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