召公奭(読み)ショウコウセキ

世界大百科事典(旧版)内の召公奭の言及

【燕】より

…中国古代,春秋戦国の侯国。周武王の弟召公奭(しようこうせき)が薊(けい)(現,北京市)に封建された国といわれるが,実際に就国したのはその弟あるいは子と考えられる。近年北京西郊で西周初期の燕(匽と書く)関係の青銅器が多数発見されたが,その歴史はほとんど不明。…

【周】より

…洛邑を建設して成周とよんで東方支配の拠点とし,西の都を宗周と称した。各地に一族や功臣の有力者を封建して諸侯とし,土地と民とを支配させ,周王は諸侯を統制することによって東方を支配しようとし,周公旦の子伯禽を魯(山東省曲阜県)に,召公奭(しようこうせき)(武王弟)の子(弟ともいわれる)を燕(北京市西郊)に,康叔(武王弟)を衛(河南省淇県)に,功臣太公望呂尚を斉(山東省臨淄(りんし)県)に封じるなどした。これが周の封建制度である。…

※「召公奭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む