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成王 セイオウ

世界大百科事典 第2版の解説

せいおう【成王 Chéng wáng】

?‐前626
中国,春秋楚の王。在位,前671‐前626年。文王の子。名は熊惲(ゆううん)。兄の荘敖(そうごう)を殺して王位につき,はじめて周に貢献し,周王から南方の鎮定をゆだねられ,しだいに版図を拡大するが,やがて中原の諸国と対立。このころ覇者となったの文公と城濮(じようぼく)に戦って大敗(前632)した。やがて王位の継承に伴う内紛から太子の商臣に攻められ自殺し,商臣が立って穆王(ぼくおう)となった。【永田 英正】

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大辞林 第三版の解説

せいおう【成王】

中国、周の第二代の王。武王の子。初め叔父周公旦が摂政。のち親政し、洛陽に新都の成周を営み、東方の淮夷わいいを平定した。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

成王
せいおう

中国、周王朝第2代の王。紀元前11世紀ごろの人。武王の子。名は誦。幼年で即位したので叔父の周公旦(たん)が摂政(せっしょう)となった。このとき殷(いん)の王族である武庚禄父(ぶこうろくほ)および武王の子で管、蔡(さい)に封ぜられた者たちが反乱を起こした。周公は召公とともにこれを鎮定し、さらに東方の大遠征を行い、帰国後、河南の洛邑(らくゆう)に東都を築き、東方諸侯の重鎮とした(成王が遷都したともいう)。周公は摂政7年で成王に政(まつりごと)を返還したという。成王のときに、宋(そう)(微子啓(びしけい))、魯(ろ)(伯禽(はくきん))、衛(康叔(こうしゅく))、晋(しん)(唐叔(とうしゅく))など一族功臣の大封建を行い、周公、召公の補佐もあって、周王朝の基礎が確立されたという。[宇都木章]

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