精選版 日本国語大辞典 「燕」の意味・読み・例文・類語
つばめ【燕】
えん【燕】
つばくろ【燕】
つばくら【燕】
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新潟県中部の市。2006年3月旧燕市と分水(ぶんすい)町,吉田(よしだ)町が合体して成立した。人口8万1876(2010)。
燕市東部の旧市。1954年市制。人口4万3255(2005)。全国の9割以上に及ぶ金属洋食器の生産によって有名である。中心市街は信濃川の分流である中ノ口川沿岸に位置し,江戸時代に長岡船道の河岸場として発展した。江戸時代初期,農村の副業として和釘の製造が始まり,明治末期にはやすり,きせる,銅器を生産するようになった。この時期までに隣接する三条の金物業の影響を受けた。こうした伝統の技術を生かして1914年にフォークを試作したのが金属洋食器製造の始まりである。現在は,洋食器と厨房(ちゆうぼう)用器物を含む金属製品製造業が製造品出荷額1862億円(1995)のうち47%以上を占め,ほかにミシン部品,ゴルフクラブ,農業機械,銅器などを生産する。電解研磨,めっきなど関連・下請企業を含む事業所数が多く,その大半は小工場や町家の土間などで作られる。製品の大部分は輸出されるが,近年伸び悩んでおり,そのため他の製造業も含む工業団地が郊外に造成され,一般機械,電機などの企業が進出している。JR弥彦線が通じ,上越新幹線燕三条駅,北陸自動車道三条燕インターチェンジも設けられている。燕市産業史料館に洋食器産業関係の史料が収められている。
執筆者:磯部 利貞
燕市南西部の旧町。旧西蒲原(にしかんばら)郡所属。人口1万5121(2005)。信濃川西岸にあり,町域の大部分は越後平野の沖積地からなる。大正末に完成した大河津(おおこうづ)分水(新信濃川)の分岐点にあたり,町名もこれにちなむ。中心集落の地蔵堂は信濃川と西川の分岐点に位置し,近世に両川舟運の河岸町として発展した。大正初期に北越鉄道(現,JR信越本線),越後線が開通して舟運は衰えたが,現在も近郊の商業中心地となっている。1909年から23年にわたる分水工事により越後平野の中心穀倉地帯となったが,近年は工場の進出が相次ぎ,精密機械工業を中心に出荷額の伸びも著しい。伝統工芸の鎚起銀器,銅器も立地する。西部の国上(くがみ)山中腹にある国上(こくじよう)寺は越後有数の古刹で,参道脇の五合庵とふもとの乙子(おとご)神社は良寛の修行地として知られる。大河津分水の堤10kmには約6000本の桜が植えられ,毎年4月においらん道中が行われる。
燕市中北部の旧町。旧西蒲原(にしかんばら)郡所属。人口2万4893(2005)。信濃川分流の西川東岸の沖積低地に位置し,中心の吉田は西川舟運の重要な河港で,米や越後木綿の集散地として栄えた。大正初期に国鉄(現JR)越後線,弥彦線が開通し,舟運は衰えたが,両線の分岐点として鉄道交通の中心となった。昭和30年代後半から積極的な工場誘致が進められ,また隣接する旧燕市の洋食器関連工場が過密化したこともあって工場進出がめざましく,工業出荷額の伸びは県下でも上位である。住宅地の造成も盛んで,人口も増加している。
執筆者:佐藤 裕治
中国古代,春秋戦国の侯国。周武王の弟召公奭(しようこうせき)が薊(けい)(現,北京市)に封建された国といわれるが,実際に就国したのはその弟あるいは子と考えられる。近年北京西郊で西周初期の燕(匽と書く)関係の青銅器が多数発見されたが,その歴史はほとんど不明。戦国時代に強国の一つとして再登場し,中原文化を採用し,前284年には諸国とともに斉を攻め,一時斉の大半を手に入れたが,のち斉の反撃をこうむるとともに,趙の圧迫も受け,前226年秦に都の薊を奪われ,前222年に滅ぼされた。
→春秋戦国時代
執筆者:伊藤 道治
戦国時代,燕国の都城を下都といい,その遺構は河北省易県の県城南東2.5km,北易水と中易水に挟まれた地域で発見されている。下都の大きさは,東西約8km,南北約4kmで,中央を南北に走る城壁と運河によって東城と西城に分けられている。城内の遺構は主として東城内に分布し,東城内の戦国墓は,北西隅の虚糧塚区に13基,九女台区に10基の墳丘が残っている。調査の行われた九女台区の第16号墓は,高さ7.6m,南北38.5m,東西32mの墳丘を有し,墳丘下には南北に坑道のある長方形竪穴墓があった。墓室内の四方は焼土壁で,また墓室内には焼土が充満していた。副葬品は,青銅器を模倣した副葬陶器が主で,鼎,豆,壺,盤,匜(い),鑑,簋(き),盨(しゆ),盉(か),編鐘などがあり,玉製品,骨角器,鉄器なども認められた。武陽台村の西で発見された第44号墓は,版築面の間に掘られた長方形竪穴土壙で,22体の人骨と,多くの鉄製武器が出土した。鉄製武器には,矛,戟,剣,刀,匕首,鐏(そん),冑などがあり,戦国時代鉄器の研究資料として重要な役割を果たしている。このほか東城内からは,多数の建築址,運河,鉄器工房,鋳銭工房などの遺構,土器,青銅器,半瓦当,筒瓦,板瓦,陶井戸枠,水道管,塼(せん)などの遺物が発見されている。西城内にも若干の戦国墓が存在するが,遺構の発見は少ない。下都が燕の都城として栄えたのは前5世紀後半に入ってからのことで,前222年の燕の滅亡後,下都はその機能を失うが,城内からは漢代遺物も出土している。
執筆者:飯島 武次
鮮卑族慕容部が中国内地に建てた諸王朝。五胡十六国の一部をなす。慕容部は東北地方シラ・ムレン上流に起こり,西晋の滅亡を機に鮮卑系他部族や高句麗,扶余を制圧して遼東・遼西方面を支配した。4世紀半ば慕容儁(ぼようしゆん)(319-360,在位348-360)は後趙の内乱に乗じて河北地方に進入,薊城(北京付近)を首都として燕帝国を建てた(前燕。352-370,のち鄴に遷都)。やがて一族に内訌が起こり,前秦の苻堅に征服された。苻堅が淝水で東晋に敗れると,一族は国家再興を企て,西燕(384-394)と後燕(384-407)が興ったが,後燕は西燕を滅ぼし,河北,河南,山西,山東さらに遼東に及ぶ広大な帝国を建設した。しかし397年北魏が首都中山(河北省定県)に迫ると,国家は瓦解して南燕(河南,398-410)と北燕(407-436)に分裂した。
執筆者:谷川 道雄
新潟県妙高市の旧妙高村にある温泉。関温泉の西部,妙高山山頂まで約6kmの標高1100m地点に湧き,1872年(明治5)に発見された。当初は夏場だけの湯治場であったが,スキー客が訪れるようになって発展した。含土類セッコウ泉,45℃。JR信越本線関山駅からバスが通じる。名物に笹餅とたけのこ料理がある。
執筆者:谷沢 明
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①〔戦国〕?~前222 戦国の七雄の一つ。河北省北部を領有。薊(けい)(北京北西)に都した周初以来の封建諸侯国といわれる。前323年以来王を称す。中原の人士を受容して国力を増し,前284年斉に大勝し,北は東胡(とうこ)を撃退して上谷(じょうこく)(河北懐来県)-襄平(じょうへい)(遼陽付近)間に長城を築き,遼東を開拓し,中国勢力の東北移植の基礎を置いた。その後,秦の圧迫を受けて滅んだ。
②〔五胡十六国〕五胡十六国の王朝で,前燕(ぜんえん),後燕(こうえん),南燕(なんえん),北燕(ほくえん)などがある。(1)前燕(337~370)鮮卑(せんぴ)の慕容廆(ぼようかい)が強大となり,子の皝(こう)が竜城(熱河(ねっか))に都して建国し,のち鄴(ぎょう)(河北)に遷都したが前秦に滅ぼされた。(2)後燕(398~407)淝水(ひすい)の戦いで前秦が敗れると,慕容垂(ぼようすい)が後燕を復興し,中山(河北)に都したが,のち北魏に中山を奪われ,竜城に逃れた。(3)北燕(409~438)漢人将軍馮跋(ふうばつ)が後燕を滅ぼして建国したが,弟の馮弘(ふうこう)は北魏の圧迫を受け,高句麗に逃れて殺された。(4)南燕(398~410)北魏が中山を奪ったとき,慕容徳は広固(山東)に都して建国したが,のち東晋の劉裕(りゅうゆう)に滅ぼされた。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報
…前半の大半の期間のことが魯国の年代記《春秋》に,後半のことが《戦国策》とよぶ書物に書かれているからである。前453年で二分するのは,春秋の大国晋の家臣であった韓・魏・趙の3代が主家を三分独立し,晋は事実上滅亡し,以後戦国の七雄といわれる韓・魏・趙・楚・斉・燕・秦の対立抗争の時代となるからである。
[歴史]
《史記》によれば,春秋初めには140余の小国が分立していたが,勢力のあったのは,魯(山東省曲阜),斉(山東省臨淄(りんし)),曹(山東省定陶),衛(河南省淇県,のち滑県),鄭(河南省新鄭),宋(河南省商丘),陳(河南省淮陽(わいよう)),蔡(河南省上蔡,のち新蔡,さらに安徽省鳳台),晋(山西省曲沃),秦(陝西省鳳翔,のち咸陽),楚(湖北省江陵,のち河南省淮陽,安徽省寿県),燕(北京市)の十二諸侯であり,洛陽には周王室があった。…
…中国古代の刀形貨幣(刀貨)の一種で,戦国時代の燕国で通用した銅貨。春秋時代に山東半島を支配した斉国で刀子(とうす)の形を青銅で鋳造した刀銭がおこり,北京を中心とする燕国に伝わったものとされている。…
…地域的にみると新潟県が,食卓用ナイフ,フォーク,スプーンについては出荷額の約85%,その他の洋食器でも同じく出荷額の約70%を占めている。これは燕(つばめ)市に大正時代から金属洋食器の一大産地が形成されてきたからである。その点で金属洋食器製造業は典型的な地場産業であるといえる。…
…新潟県南西部,妙高山(2446m)東麓の妙高高原に開けた温泉郷。標高の高い順に,約1100mの燕(つばめ)温泉(含土類セッコウ泉,45℃),約900mの関温泉(含鉄食塩泉,46℃),700~800mの赤倉温泉(重炭酸土類泉,60℃),池ノ平温泉(単純泉,60℃),500~600mの妙高温泉,新赤倉温泉(いずれも赤倉温泉からの引湯)と並ぶ六つの温泉からなる。享保年間(1716‐36)開湯の関温泉が最も古く,大正末期開湯の池ノ平温泉,新赤倉温泉が最も新しい。…
※「燕」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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