可西綾乃(読み)カサイ アヤノ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「可西綾乃」の解説

可西 綾乃
カサイ アヤノ


職業
舞踊家

肩書
可西綾乃舞踊研究所代表

本名
神谷 不二子(コンタニ フジコ)

生年月日
昭和22年 2月5日

出身地
富山県

経歴
昭和31年から35年まで松山樹子バレエ団で学び、38年可西希代子舞踊研究所に入門現代舞踊の全国コンクールで何度も入賞し、海外公演も経験。52年可西綾乃を襲名。現代舞踊だけでなく、韓国舞踊、日本民謡踊り手、振付けと幅広く活躍。60年6月、独立記念の第1回発表会を黒部市民会館ホールで開いた直後、がんで倒れ、志半ばで世を去る。61年6月、友人や研究生の手で追悼公演が同ホールで開かれた。

受賞
全国民舞大会文部大臣賞〔昭和44年〕,日本民舞大賞〔昭和58年〕

没年月日
昭和60年 11月3日 (1985年)

家族
兄=神谷 尚機(桜井交通社長)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「可西綾乃」の解説

可西 綾乃
カサイ アヤノ

昭和期の舞踊家 可西綾乃舞踊研究所代表。



生年
昭和22(1947)年2月5日

没年
昭和60(1985)年11月3日

出身地
富山県

本名
神谷 不二子(コンタニ フジコ)

主な受賞名〔年〕
全国民舞大会文部大臣賞〔昭和44年〕,日本民舞大賞〔昭和58年〕

経歴
昭和31年から35年まで松山樹子バレエ団で学び、38年可西希代子舞踊研究所に入門。現代舞踊の全国コンクールで何度も入賞し、海外公演も経験。52年可西綾乃を襲名。現代舞踊だけでなく、韓国舞踊、日本民謡の踊り手、振り付けと幅広く活躍。60年6月、独立記念の第1回発表会を黒部市民会館ホールで開いた直後、がんで倒れ、志半ばで世を去る。61年6月、友人や研究生の手で追悼公演が同ホールで開かれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「可西綾乃」の解説

可西綾乃 かさい-あやの

1947-1985 昭和時代後期の舞踊家。
昭和22年2月5日生まれ。松山樹子(みきこ)バレエ団をへて,昭和38年可西希代子舞踊研究所にはいる。52年可西綾乃を襲名。58年日本民舞大賞。60年独立記念の第1回発表会をひらいたが,同年11月3日死去。38歳。富山県出身。本名は神谷(こんたに)不二子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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